Je pense, donc je suis.

Je pense, donc je suis.(我思う、故に我あり。)  というか、ただの日記です。

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ミュージカル「オペラ座の怪人」25周年記念公演 in ロンドン

少し前に映画「レ・ミゼラブル」の感想のついでにミュージカル「レ・ミゼラブル」の25周年コンサートの映像を紹介したのだけれど(※参照記事こちら)、ミュージカル「オペラ座の怪人 25周年記念公演 in ロンドン」の映像もオススメなので、ご紹介。こちらもWOWOWだかNHKだかで見たんだけど、ミュージカル本編もさることながら、その後のカーテンコールが圧巻なんです。各国の初演時のファントム(イギリス、アメリカ、ニュージーランド、オーストラリア、カナダの初演時のキャストの方々だったと思う)が大集結してまさに歌の競演、歌い比べ状態で、ファントムだけでなくロンドン公演初演時のクリスティーヌ役のサラ・ブライトマンも最後には登場しファントム軍団を従えて歌ってくれます。各国5人の初演時&歴代ファントムの歌声は迫力満点でそれはそれは圧巻なのです。今や廉価版が出てDVDも1000円以下なので「オペラ座の怪人」好きの方、ぜひ。

by カエレバ

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ロンドン・オリジナル・キャストによるサントラ。
(マイケル・クロフォードがファントム、サラ・ブライトマンがクリスティーヌ)

by カエレバ

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ブロードウェイミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」

ブロードウェイミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」をオリックス劇場(旧厚生年金会館)まで観にいってきました。今回は、作品の生みの親の1人であるアーサー・ローレンツが、初演版の舞台を復活させた最新プロダクションが来日とのことで、本場ブロードウェイ版の舞台が来日するのは実に48年ぶりなんだとか。

wss201208osaka.jpgブロードウェイミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」 

公演日程:2012年8月8日(水)~12(日)全8公演
会場 :オリックス劇場(旧 大阪厚生年金会館)

脚本&ブロードウェイ・リバイバル演出:アーサー・ローレンツ

音楽:レナード・バーンスタイン

作詞:スティーブン・ソンドハイム

初演時演出・振付:ジェローム・ロビンス

ツアー演出:デイヴィッド・セイント

振付再現:ジョーイ・マクニーリー



有名なミュージカルなので、ストーリーは、もうお馴染みですよね。簡単に言えばロミオとジュリエットのニューヨーク現題版。2つの対立するグループ「シャークス」と「ジェッツ」の抗争に巻き込まれてしまった1組のカップルの悲劇の物語。本場ブロードウェイ版の舞台の来日公演なので、セリフは英語、字幕付。ですが、半分ぐらいスペイン語が混ざってました。というのも、ベルナルドの率いるシャーク団同士の会話がスペイン語中心なので。

あまりにも有名なミュージカルなので、各場面に登場する曲も誰もが口ずさめるぐらいに有名な曲のオンパレード。トニー役の方の歌は上手でした。(マリア~♪マリア~♪マリア~♪とかトゥナーイ♪トゥナーイ♪とか。)マリアもとても上手。ベルナルドの歌唱力は普通かなぁ。リフはとにかく声が高かった。しかもビジュアルも背が小さくてジェッツを率いるリーダーにしてはカリスマ性が弱かったんだけれど踊りは綺麗でした。(苦笑)シャークスのベルナルドは、なんだか浪花金融道ミナミの帝王みたいな雰囲気(=ラテン系チンピラ)でした。(笑)そして改めてじっくり見ると、やはりトニーは歌唱力ありきの役だよなーとしみじみ。リフとベルナルドは踊ることができたら歌のほうはなんとかなる印象だけれど、トニー役(とマリア役)は歌が上手くないと絶対に無理だよね。昔の在りし日のバーンスタインのドキュメンタリー番組で、若き日のホセ・カレーラス(←パパロッティ、ドミンゴと並ぶ世界三大テノールの1人。)が、このウエストサイドストーリーのトニー役のレコーディングのリハーサルで、ワンフレーズ歌うたびにダメ出しされていて、同じワンフレーズを何十回と繰り返しやらされて、レッスン後のカレーラスが涙目で「マエストロは僕に歌わせてくれないのだろうか。同じところばかりやり直しで、何がダメなのかも教えてくれない。」とかボヤいていたのを見たことがあって、後の三大テノールでもバーンスタインにここまでしごかれるのかーと驚いたものだったのだけれど、そう思うと、某なで肩さんがトニー役をやったことがあるなんて、バーンスタインもさぞかし(以下自粛)。

それにしてもバレエが大好きな私からすると、やっぱりミュージカルってウルサイ。(苦笑)最近、実は密かに映像でミュージカルをチョコチョコと見ていて(オペラ座の怪人、レ・ミゼラブル等)歌声でセリフや感情を表現することに関しては歌唱力があれば全く嫌悪感を感じることなく楽しめるようにはなってきていたのだけれど、それでもバレエに慣れているだけに、セリフだったり外野のガヤガヤ騒ぐ声とかだったりが耳にうるさく感じてしまう。あとミュージカルダンサーの踊りって、バレエを見慣れている目で見ると、やっぱり重たい。(苦笑)踊る姿や踊り自体はカッコイイんだけれど、重量感が否めないんだよね・・・。やはり無声で軽やかに踊るバレエが好きだわと痛感させられました。それでも「ウエストサイド物語」づいている私は来月の佐渡裕指揮「ウエスト・サイド物語」シネマティック・フルオーケストラ・コンサートにも参加予定。大阪は2012年9月24日(月) 13時/19時の2回公演です。


サントラCDは今や991円で買えます。

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ミュージカル映画「ウエストサイド物語」。廉価版が出ていて、今や1900円で買えます。

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by カエレバ

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舞台「8人の女たち」

もともと演劇鑑賞は苦手で、よっぽどのことがない限り自分から積極的に見ないのだけれど、舞台「8人の女たち」は、もともと2002年のフランス映画『8人の女たち』(フランソワ・オゾン監督)が大好きなこともあり、この作品のキャストが発表された段階でとても興味があったのでチケット買って劇場まで見に行こうかと思ったりしていたのですが、バタバタしていて忘れていたら、年末にWOWOWで劇場生中継をしていたので、喜び勇んで録画して鑑賞しました。

舞台『8人の女たち』8femmes201112.jpg
【演出・上演 台本】G2
【美術】松井るみ
【照明】高見和義
【音楽】佐藤史朗
【音響】井上正弘
【衣裳】原まさみ
【ヘアメイク】田中エミ
【アクションコーディネーター】諸鍛冶裕太
【翻訳】柏木しょうこ、岩辺いずみ
【演出助手】河合範子
【舞台監督】廣瀬次郎
【出演(五十音順)】
 浅野温子 … ピエレット
 大地真央 … ギャビー
 加賀まりこ … マミー
 戸田恵子 … オーギュスティーヌ
 荻野目慶子 … マダム・シャネル
 牧瀬里穂 … ルイーズ
 マイコ … シュゾン
 南沢奈央 … カトリーヌ
【東京公演】2011年12月9日~2011年12月25日 ル テアトル銀座 by PARCO
【大阪公演】2012年1月7日~ 2012年1月9日  森ノ宮ピロティホール


2002年のフランス映画『8人の女たち』(フランソワ・オゾン監督)の原作はロベール・トマの戯曲『Huit Femmes』(八人の女たち)だそうですが(無知ゆえ、あの映画に原作があったことは今回初めて知ったのだけれど)、これは、そのロベール・トマの戯曲の翻訳版と解釈していいのかな? 

舞台設営はちょっと不思議な感じでした。360度ステージに限りなく近い感じで、会場の中央に長方形の舞台があり、客席がその両側に向かい合うように作られていて舞台の袖も丸見え。袖の部分にはイスが用意してあって、舞台上に上がらないキャストはそのイスに座って待機するのですが、その待機している様子も客席から丸見えという状態。演じる側にしたら、終演まで全く気が抜けない状態だと思います。

ストーリーは、映画で見たのと全く同じ。なのでオチも全部しっている状態で鑑賞しましたが、それぞれの女優さんたちがそれぞれの役をどのように演じるのかに興味があったので、ストーリーを知っていても純粋に楽しめました。

映画版と違うのはミュージカル構成ではないという点。当たり前なんだろうけど歌がないんですよね。そして、私は、あの映画の中のとりわけ歌の場面が大好きだったことを実感してしまいました。歌ナシで進むのは、やはりちょっと物足りない気分を感じてしまったので。日本語歌詞で歌ってほしかったなーなんて思ったり。

キャスト陣ですが、殺された男性の妻のギャビーが大地真央。映画だとカトリーヌ・ドゥヌーブが演じていた役です。映画のドゥヌーブは恰幅が良くなっちゃってて貫禄満点でしたが、舞台上の大地真央は、スレンダーだけれど貫禄満点。舞台に立ってる姿が凛としていて美しいし、プライド高そうな金持ち婦人の空気がとても似合っておりました。

殺された男性の妹のピエレットは浅野温子。映画だとファニー・アルダンが演じていた役です。私が個人的にファニー・アルダンが大好きなので(独特の妖艶さとハスキーボイスがカッコイイ!魔性の女系の微笑みとか、同じ女でもゾクゾクするぐらい素敵!)、ファニー・アルダンのピエレットと比べるとちょっと下品というか、アバズレ感が強い悪女キャラでした。まあ、そういう役作りなんだとおもいます。衣装も水商売っぽいというか下品な感じだったから。でも個人的にはファニー・アルダンのピエレットのほうが好みです。浅野温子のピエレットだとマダム・シャネルが惹かれる理由(=レズビアン)に説得力がないんだもん。まあフランスが舞台の物語を日本人同士で演じてしまっているだけに、やはり文化の違いみたいなところで「レズビアン」という存在自体にリアリティを感じないのは仕方ないのかなという気もするけれど、女も惚れる女っていう雰囲気ではなかったんだよね。ファニー・アルダンのピエレットは、まさに女も惚れる女だっただけに。(苦笑)

殺された男性の義母(=殺された男の妻ギャビーの実母)のマミー役が加賀まりこ。映画だとダニエル・ダリューが演じた役です。もうこれはイメージどおり。というかダニエル・ダリューも加賀まりこも若い頃は超可愛かった人。(「うたかたの恋 (1936) 」のときのダニエル・ダリューの可愛さは筆舌につくしがたいほど!)なので、可愛かった女性が年を取るとこんな感じになるのねっていう雰囲気も重なってピッタリだった。それにしても映画「神様のカルテ」のときにも感じたけれど加賀まりこも老婆役とかをする年齢なんですね。「花より男子」だと道明寺の母、楓様だったのに・・・。母から祖母なんだもん。

殺された男の妻ギャビーの妹のオーギュスティーヌ役が戸田恵子。映画だとイザベル・ユペールがコミカルに演じていた役ですが、戸田恵子のオーギュスティーヌもこれまた圧巻の演技力というか、本当にピッタリ!コミカルで常に笑いをとっておられました。

使用人役のマダム・シャネル役が荻野目慶子。映画だと恰幅のよい黒人女性のフィルミーヌ・リシャールが演じていた包容力満点の役です。荻野目慶子御本人もオファーがきたときに「役名、まちがってない?」って確認したんだそうですが、これはちょっと荻野目慶子が気の毒な気もしたキャスティング。森久美子とかのイメージなんだけど。荻野目慶子だったら、それこそピエレットとか似合いそうなのに。でもさすが女優さん、ちゃんとマダム・シャネルになっておられました。でも、やはり包容力という点ではイメージではなかったんだけどね。(苦笑)

新たにやってきた使用人のルイーズ役は牧瀬里穂。牧瀬里穂は、てっきりシュゾン役だと思っていたので、ちょっと驚いた。映画だとエマニュエル・ベアールが演じていた役のルイーズ。エマニュエル・ベアールって、もうそこにいるだけでエロい空気が滲み出る女優さんなだけに、メイド衣装に妖艶さを隠した胡散臭い雰囲気を牧瀬里穂が演じるとどうなるんだろう?と興味深くみていたのですが、牧瀬里穂のルイーズはエロいわけではないけれど、どこかアバズレ感の見え隠れする悪女で、それはそれでルイーズっぽくありました。

殺された男性の長女のシュゾン役マイコ。映画ではヴィルジニー・ルドワイヤンが演じた役。マイコは舞台演劇は今回がはじめてだったそうですが、もう全くもってそんな風には見えない。ベテラン舞台女優かと思ったぐらい上手で驚きました。声もききとりやすいし、台詞の抑揚も自然だし、シュゾンのイメージにもピッタリだったし、とても素敵でした。

殺された男性の次女のカトリーヌ役は南沢奈央。映画だとリュディヴィーヌ・サニエが演じた役。一番幼い役だし、キャリアも一番浅いから仕方ないかとは思うけど、ちょっと役不足だった印象。 他の女優陣が上手なだけによけいに演技のつたなさが目立っていて残念。とくに次女のカトリーヌって最後の最後で一番の鍵になる人物で、彼女の見せ場で舞台が終わるみたいなところがあるから、その締めの部分がキチっと締まらなかった感じがしたのが残念。もう少し演技力のある若い女の子だったら良かったのに・・・と長女シュゾン役のマイコが素晴らしかっただけに余計にちょっと残念に思いました。

全体としてはやはり映画のほうが好きだけれど、それでもこんな豪華な女優陣を一気に眺めれたのは楽しかったです。WOWOWさん、放映してくれてありがとう。

私が大好きな2002年のフランス映画『8人の女たち』(フランソワ・オゾン監督)のDVDはこちら。

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舞台「あゝ、荒野」


本日千秋楽を迎えた舞台「あゝ、荒野」。私も青山劇場にて鑑賞する機会に恵まれたので、感想というか雑感を書き残しておこうと思います。毎回、書くまえにお断りしておりますが、私はもともと舞台演劇というジャンルが得意ではありません。なので、演劇自体もそれほど数は見ておりませんし、寺山作品を見るのも今回が初めてで専門的な知識もないド素人です。そんな人間が、たった1回の鑑賞のうろ覚えの記憶を元に書いた一つの感想にすぎないということを御理解の上、読みすすめていただければと思います。尚、記事の無断引用、無断転記、無断リンクはくれぐれもご遠慮ください。 

ああ荒野『あゝ、荒野』

原作 :寺山修司

脚本 :夕暮マリー

演出 :蜷川幸雄

音楽 :朝比奈尚行

キャスト:
松本潤、小出恵介、
勝村政信、黒木華、渡辺真起子、村杉蝉之介、
江口のりこ、月川悠貴、立石凉子、石井愃一 ほか

埼玉公演:2011/10/29(土)~11/6(日) 
     彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

東京公演:2011/11/13(日)~12/2(金)
     青山劇場


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ミュージカル「ファントム」

moblog_827fb5bc.jpg昨夜、梅田芸術劇場へミュージカル「ファントム」を観に行ってきました。
お目当ては主演の大沢たかお氏。本当は某気象系五人組が東京ドームでライブをしている期間(11/20-22)に赤坂で東京公演のほうを、同じく大沢たかお氏好きな友人Yちゃん(←関東在住)と一緒に見にいこうと企んでいたのだけれど、チケット争奪戦に出遅れて週末の東京公演のチケットが取れなかったので、Yちゃんは東京の平日公演を、私は大阪の平日公演を見ることに。(※左の写真はYちゃんが東京の会場で写してメールでオスソワケしてくれたものです。)

というわけで東京から遅れること数週間、大阪の梅田芸術劇場で観てきました。ミュージカル嫌いなくせに、ネスカフェのコマーシャルの違いのわかる男なファントム大沢氏にワクワクして劇場へ行ったものの、いくら大沢たかお氏が素敵でも、やっぱりミュージカルは苦手なんだよね・・・・。しかも「ファントム」ってアンドリュー・ロイド=ウェバー版「オペラ座の怪人」よりもラブストーリー的要素も強いから、ラブストーリーも苦手な私には、どうにもこうにも苦痛で・・・。(苦笑)しかも仕事が終わってから駆けつけたものだから疲れも加わって、睡魔が・・・・。(苦笑)キャストの皆様、すみません状態。(苦笑)自分の中で一番感動して盛り上がったのが素顔の大沢たかお氏が登場したカーテンコールだったという。(苦笑)カーテンコールの大沢さんは、超絶カッコよかったことは言わずもがなですが、チャーミングで可愛らしくもありました。共演者への拍手の仕方とか、一礼する仕草とか妙に可愛いのです。意外な一面を見た感じ。

とりあえずミュージカル嫌いな私の心を動かして劇場まで足を運ばせたのは「大沢たかおって歌えるの?」という好奇心だったのだけれど、その答えは開演後すぐに見つかりました。大沢さんの歌、どの曲もとてもお上手でした。声量もあって滑舌も良いから、セリフも歌詞も聞き取りやすかったし、歌の表現力にしても御芝居の表現力にしても本職の俳優さんってさすがだなと思う感情表現。(ここ最近、本職が俳優でない人の舞台しか見てないからさ。苦笑)。でもCMでも歌っている「オペラ座で~♪」の歌は歌っていなかったよ・・・。(残念)あとファントムの仮面のせいで、美しいお顔のほとんどが見えないというあたりも、大沢たかお氏のビジュアル目当てなミーハーな客としては複雑な心境。それでもやはりスタイルがいいから立ち姿が絵になります。ヒロイン役の杏さんも、とってもキレイ。歌声もとても可愛らしくてきれい。でもやっぱり歌は本職じゃないから、かなり頑張っておられたとは思いますが、やはり惜しい気もしました。クリスティーンは歌が命なところがあるから、カルロッタ以上の歌唱力がないと物語の説得力は失われちゃうからねー。って途中から寝てた私が偉そうに言える立場ではないのだけれど。(苦笑)でも長身の杏さんと長身の大沢さん、とても絵になっておられました。美しいって大事なことです。
でも今回の観劇は、ミュージカルや演劇が苦手な自分を再認識して帰ってきた感じ。やはりセリフのないバレエが好きだと強く感じて帰ってきた鑑賞でした。(苦笑)

尚、歌う素敵な大沢さんは、ネスカフェのサイトのCM動画でチラっとだけ見れます。興味のある方、御覧あれ。(ニヤリ)

ミュージカル「ファントム」
2010年12月7日 ソワレ 
【出演】
エリック(ファントム):大沢たかお
クリスティーン・ダエー:杏
カルロッタ:樹里咲穂
ゲラール・キャリエール:篠井英介
シャンドン伯爵:海宝直人
ルドゥ警部:中村まこと
アラン・ショレー:石橋祐
ジャン・クロード:永島克

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落語を聞いてきた

バレエ友達のYちゃんから、「14日、あいてる?あいてたら、落語イベントのチケットがあるんだけれど一緒にどう?JOLLYさんの好きな小林十市さんの弟(=柳家花緑さん)も出るよ。」とのお誘い。どんなイベントなのか、よくわからなかったのだけれど、とりあえず予定はあいていたし、最近、日々の生活の中で笑いを欲していたので、二つ返事で参加することに。

「らくご×情熱大陸」
演出 :小栗哲家
出演 :桂米團治、立川談春、柳家花緑 × トータス松本
会場 :イオン化粧品 シアターBRAVA!

【演目】
「明烏」  柳家花禄
「替り目」 立川団春
ミニライブ トータス松本
「七段目」 桂 米團治



よくよく聞けば、この落語イベント、「らくご×情熱大陸」と題した落語会だそうで、2011年9月に開局60周年を迎える毎日放送の記念企画の一環として催されたイベントだった様子。MBSの看板番組『情熱大陸』が今年の5月16日には放送600回を迎えたということで、この『情熱大陸』に出演した人気落語家7人全員と、同じく『情熱大陸』に出演したミュージシャンや漫才師たちとライブで競演するという企画だそう。ちなみに舞台演出を手がけたのは、オペラの舞台監督として有名な小栗哲家氏(←小栗旬氏のお父様)だったようです。

本当に何もわからぬまま参加してきたのだけれど、私が見てきた公演の出演者は、桂米團治氏、立川談春氏、柳家花緑氏、ゲストはトータス松本氏でした。各自の登場前に『情熱大陸』の各回のダイジェストが流れ、その人となりみたいなものが紹介されてから本業を披露するという構成。「桂米團治」って言われてもピンとこなかったのだけれど、顔写真を観て「なーんだ、小米朝のことか~。」と遅ればせながら納得。そういえば「米團治」を襲名したんだったね。どうも「小米朝」のイメージが強すぎて「米團治」と言われてもピンとこなかった。(苦笑)トータス松本氏は5曲歌ってくれました。私自身は、歌より落語な気分だったので、音楽と落語がコラボする意義はイマイチ理解できなかったのだけれど、それでも「バンザイ」(だっけ?)とかは、ああ懐かしいなぁ・・・と思いながら聞いてきました。生で聞かせてもらった歌は本当に迫力満点でお上手。ただ完全にアウェイな空間で(なんてったって半分以上が落語ファン)やりづらそうで気の毒でしたが。(苦笑)そして久しぶりの落語は、ひたすら笑いました。やっぱり落語って面白いね。落語って究極の一人芝居なんだよね。あらためて、それを実感した。そして皆さん本当に芸達者。とりわけお気に入りは、やっぱり花緑さん。久しぶりに花緑さんの落語を聞いたけれど、やっぱり私、花緑さんの落語って好きだわー。登場人物が本当に皆チャーミングなんだもん。今回も「明烏」の若旦那とか超可愛かったし。ひたすらゲラゲラ笑わせてもらいました。談春さんの酔っ払いも超リアルで面白かったし、米團治さんは「七段目」をやってくれたのだけれど、これ、たぶんいろんな人で見たことがあるお話なのですが、かなり熱演の部類だった気がします。それにしても「笑うこと」って本当に最高のストレス発散な気がします。ものすごく面白くて楽しかった。Yちゃん、誘ってくれてありがとう。そして、なんだかムショウに11月の「花緑ごのみ」に行きたくなってきた。「花緑ごのみ」は、2年ぐらいお休みしていたけれど、今年は復活しちゃおうかなー。「花緑ごのみ」大阪は11月23日なんだよね。チケットまだあるみたいだし、チケット買っちゃおうかなー。。(※東京は9/20-22で、こちらもまだチケットあるみたいです。) 

| 観劇・狂言・落語 | 23:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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舞台「君と見る千の夢」

毎回、レビューを書くまえにお断りしておりますが、私は、もともと舞台演劇というジャンルが好きではありません。言葉で人に聞かせるように感情を表現するという行為を見るのが苦手なのです。(だから言葉を使わずに感情を表現するバレエが好き。) なので、演劇自体もそれほど数は見ておりませんし、舞台演劇に関する専門的な知識もないド素人です。そんな人間が、鑑賞時の記憶を元に書いた一つの感想にすぎないということを御理解の上、割り切って読みすすめていただければと思います。(※かなり長いです。)尚、文章および画像に関して無断転記、無断リンクはくれぐれも御遠慮願います。

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舞台「君と見る千の夢」

会場:東京グローブ座
演出:宮田慶子
脚本:金子ありさ
音楽:稲本響 
出演:相葉雅紀、上原美佐、越村友一、大沼遼平、保 可南、藤田朋子、相島一之、田山涼成、野口俊丞
公演日時 2010/5/2[日]~24[月]



舞台装置等はアールデコ風のシンプルな装置で、とても洗練されており、非常に合理的でわかりやすい作り。ステキな舞台装置でした。ステージは下記の図のとおり、客席の前列(A列~C列)をつぶして客席部分にせりだしており、セットは高さが3段階、奥行きも3段階に分かれており、せり出し部分及び1階が「現世」、舞台下手に用意されている2階部分が「生と死の狭間(以後、「幽体離脱スポット」と呼びます)」、そして、その後方に設けられている3階部分が「あの世(=死者の世界)、及び限りなく死に近い場所(以後、「ファイナルステージ」と呼びます)」として使われていました。そして、それぞれは階段でつながっています。

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生きている人々が繰り広げる(※回想シーンを含む)シーンは、1階部分「現世」のステージで演じられ、交通事故後で幽体離脱中の(=生と死の狭間にいる)春也(相葉さんが演じている青年)は、たいてい、「幽体離脱スポット」にいることが多く、春也の心の中の声を表現する1人芝居的なものは、ほとんどがこの「幽体離脱スポット」で繰り広げられていました。そして三途の川での死者との対話のシーン(クライマックス)は、ファイナルステージで行われます。途中、人間の世界に死んだ人間の霊魂が現れたりするのですが、その場合、たとえば、冒頭で春也が運び込まれた病室に恋人みっちゃん(上原さんが演じている春也の恋人)が駆け込んで来る場面などでは、客席には、まだみっちゃんが死んでしまっていることは知らされてはいないけれど、ファイナルステージの照明がボーっと光って、みっちゃんが幽霊であることをさりげなく伝える伏線的な演出が施されていました。あと、現世にまぎれこんで登場する幽霊のみっちゃんの衣装は、いつも全身白で、白装束がみっちゃんが既に死んでいることを告げる伏線にもなっていたようです。

どの階層のステージでも春也の見せ場シーンが用意されているので、1階席の客席も、2階、3階席の客席も、相葉ウォッチングという点では、どの席でも楽しめる作りになっているように思いますが、私と友人たちの総合的な意見では、物語の世界に入り込みやすいのは、そして俳優相葉雅紀の成長を目の当たりにするには、今回の舞台は1階にせよ、2階にせよ、3階にせよ、下手側の座席が当たり席だとおもいます。というのも主人公である相葉さんが、春也を演じる上で肝になるシーン、春也が感情を吐露する場面(父親との口論、美智子との最期の別れを納得するまでのシーン、寸止めキスシーン etc.)は、すべて下手側を向いて語るので、下手側の座席からだと相葉さんの表情から感情がしっかりと見えるので、物語の世界に身を投じやすく、胸に迫るものも大きいように感じたので。上手側だと、これらのシーンは相葉さんの背中越しにセリフから感じるしかないのですが、ただ、今回、相葉さんは背中でも気持ちを伝えられるような立派な俳優さんに成長しておられる(今回、相葉さんが客席に背を向けた状態で、背中で演じている様子を見れるシーンがけっこう多い)ので、上手側の席でもその背中から放つオーラで春也の心情は読み取れましたが、やはり下手側から見るほうが胸に迫るものは大きいと感じました。

音楽は、ピアノ音源。クラッシック音楽が使われていたのは1曲だけ、「Rachmaninov:Prelude In B Flat,op.23-2(ラフマニノフの10の前奏曲 作品23 第2番 変ロ長調)」。あと、劇中のセリフの中に「モーツァルトの23番」という単語がでてきておりました。これはピアノ協奏曲23番のことだと思われます。クラッシック曲のピアノ演奏は吉田まどかさんという方で、それ以外は、稲本響さんの作のオリジナル曲を稲本さんご自身が演奏された音源を使ってありました。劇中に使われていた稲本さんの音楽は、その場面場面にぴったりで、本当に素晴しかったです。グローブ座の天井から降り注ぐようなピアノの音色は、春也君の心情だったり、春也君の憧れだったり、衝撃だったり、同じ旋律でも演奏の仕方や伝わり方は場面場面で異なっており、音色の切なさだけでうっかり涙が込み上げてくることがしばしばありました。

さて、作品の内容についての感想ですが、正直、かなり書きづらい・・・。というのも、私の中で全く正反対の2つの感情が渦巻いているので。(苦笑) まず、相葉ファンというヲタクフィルターをはずして、一つの演劇作品として冷静に客観的にみるならば、もともと舞台演劇自体が嫌いで、ラブストーリが嫌いで、物事の整合性にこだわる私のような人間には、半ば拷問に近いような作品でした。(苦笑) ただ相葉ファンという立場で見れば、さすが相葉さんのために宛書された脚本なだけあって、クルクル変わる相葉さんの表情や仕草を堪能し、演技面での成長をも実感しやすい作りにしてある至れりつくせりな作品で、ファンという立場で言うならその点に関しては非常に有難いと思える作品でもあり、なんとも複雑な心境です。(苦笑)

作品自体は非常にわかりやすい作りです。登場人物も最小限に絞られているし、そのとき、そのときの登場人物の心情や状況については、なんでも全部丁寧にセリフで説明してあるし、『死を知って生を知る』という作品自体を貫くテーマも、美智子が働く老人ホームの院長先生の言葉を引用する形でセリフの中でも丁寧に説明してくれているし、物語の中でも、春也が身近な人の『死』を経験して、『生』の大切さに気づき、亡き人の分まで自分の人生を大切に前向きに生きることを誓う様子は、非常にわかり易く描いてあります。ただ、そのベタなテーマをわかりやすく展開していくがゆえに、全体として「浅い」、「押し付けがましい」という印象を受けました。 自分自身が相葉さんのファンであるというヲタクフィルターをはずして、一つの演劇作品として好きか嫌いかと聞かれたら、初日を見た段階では「嫌い」と即答してしまいそうなぐらいに、本当に私にとっては、全く面白みも感じなければ、好みでもないストーリーで、その作品自体のテーマの描き方の「浅さ」と「押し付けがましさ」にうんざりてしまったので、初日には大好きな相葉さんが主演しているにもかかわらず、途中からはあまりにも退屈で思わず何度も時計を見てしまったというぐらい、私とは相性が悪い作品でした。(苦笑) 私の場合、この作品が相葉さん主演でなかったら、見終わった後、すぐに忘れてしまうぐらいに印象が残らない作品だったように思います。それぐらい、私の琴線に全く触れない、私に言わせれば、「陳腐」で「浅い」ストーリーでした。ただ、誤解なきように強く言いたいのは、主演の相葉さんを含むキャストの方々のパ゚フォーマンスや、音楽や舞台美術を含む作品全体を「陳腐」だとか「浅い」と否定しているわけではありません。あくまでストーリーに限っての個人的な感想です。

たぶん今回の作品(とりわけストーリー)は、まだ「死」というものが身近ではない世代のお若い方や、重箱の隅を突かない性格の方や、心がピュアな方、そしてクラッシック音楽にあまり思い入れのない方には受けるのだと思います。私はそれらのどれも満たしてないので、鑑賞中に雑念が入りすぎて、完全に集中力を欠いてしまったような気がします。(苦笑) パンフレットに記載されていた脚本家(←アラフォー世代)のコメントを見ても「若い方々が何か感じていただけたら」とあえて「若い方々」限定のように書いてあったので、ターゲットは若年層だったのでしょう。若年層からはみ出たような私には、残念ながら、これといってストーリーから大きく感じるものはなく、残念ながら先述した「陳腐」と「浅い」という単語しか思い浮かびませんでした。
 
前回の「グリーンフィンガーズ」のときにも同じことを不満に思ったのですが、今回の作品も例に漏れず、主演である相葉さんのこういう表情やああいう表情を見せたいという目的が優先されて作られているがゆえに (まあ、それが「あてがき」の脚本の醍醐味であり、「ジャニーズ舞台」の基本だということは重々承知してはいるのですが)、相葉さんの見せ場をつくるためにストーリーがどんどん陳腐になっているように思えてならず、私にとっては、大好きな相葉さんへの「あて書き」であるという有難味よりも、「あて書き」ゆえの「所詮ジャニーズ舞台」的な安っぽさや「陳腐さ」が鼻について、最終的には、この物語を悲しいラブストーリーとして描くこと自体すらも疑問に感じたほどだったので、純粋な演劇鑑賞という点では、作品単体としては全く心が満たされませんでした。 今回の「相葉雅紀×宮田慶子」舞台に限ったことではないけれど(それこそ「大野智×きだつよし」作品にも共通して言えることですが)、作品自体が嵐ファンや相葉ファンに媚びすぎていて、「こういう相葉を見せておけば、客(ファン)は満足するだろう」みたいな匂いを感じてしまい、有難味を感じる前に、その脚本なり、演出意図なり、セリフなりにあざとさを感じてしまうというか、安っぽさを感じてしまうというか、ウンザリしてしまうというか、それが相葉さんの魅力を発揮させるために加えられたものだとしても、その数シーンのせいで作品全体がどんどん陳腐になっているようでは、ヲタクとして目の保養をさせていただくには満足できても、素直な演劇鑑賞というレベルでは満足できないというジレンマ。(苦笑) 

今回の作品の中で、相葉さん演じる春也は、「近親者(恋人である“みっちゃん”)の死」を経験し、亡き恋人の言葉に背中を押され、亡き恋人を安心させるためにも、いままで頑なに封印してきたピアノと向き合うことを誓います。つまり「近親者(恋人)の死」を「現実に向き合うためのプラスの力」としてポジティブなものとして描いているわけですが、でも「近親者の死」となると、この物語の中で春也は1年前に「近親者(母)の死」を経験したばかり。そしてその「近親者(母)の死」を経験し、その「近親者(母)の死」「亡き母の思い」を背負って真剣に現実(=ピアノ)に向き合っていても、現実の壁(=実力や才能の限界に直面したときの恐怖や己の自尊心)は乗り越えられず、そんな自分に自己嫌悪を感じ、「近親者(母)の死」に罪悪感を感じ、深い心の傷を負ってピアノを封印しちゃったわけでしょう? 「近親者(母)の死」を「現実に向き合うためのプラスの力」にしようとがんばっても、結果的には、そうできなかった自分に強い罪悪感を感じちゃった春也が、まだ春也の現実(=ピアノ)に対する考え方が何も変わっていない段階で、また「近親者(恋人である“みっちゃん”)の死」「亡き恋人の思い」を背負って何か(ピアノやリハビリ)をがんばろうと決意したところで、またそれをもってしても乗り越えられないような現実にぶつかってしまったら(実際、そういう現実は山ほどあるだろうし)、さらに深い心の傷をおってしまうのではないのかしら? 「近親者(恋人)の死」を「現実に向き合うためのプラスの力」として描くのであれば、既に経験している1年前の「近親者(母)の死」のお涙頂戴系エピソードが完全に蛇足な気がするし、二度目の「近親者(恋人)の死」を「現実に向き合うためのプラスの力」として描くには、その間に、ひとつ春也の精神的な成長なり心の変化が見えるエピソードを描いてくれないことには、根本的に春也の本質や内面や考え方は何も変わっていないようにしか感じられず、結局のところこの物語で解決したのは父と息子の関係のみにしか思えず、春也のピアノに対する葛藤の解決の部分に関しては消化不良感が否めませんでした。

私としては、やはり春也がピアノと向かい合うという結論を下すのであれば、そのきっかけは「近親者(恋人)の死」でなく、別の理由、自分が心の底ではピアノを求めていること、音楽を愛していることを否定できないとはっきりと自覚するエピソードなり描写が欲しかったです。 どうせなら運転していたのは春也で、助手席のみっちゃんは奇跡的に無事だったという設定にしておいて、三途の川で春也に夢と向かい合うことをすすめる(春也のピアノに対するトラウマを開放してあげる役目、『死から生を知る』ためのキーパーソン)は、恋人みっちゃんではなく亡きお母さんの霊魂だったらよかった(=春也が向き合う「死」は1つだけ、母の死のみでよかった)のに・・・なんて思ったりするのですが、でも、そうすると「生きてると思って見ていたみっちゃんが実は死んでいたんだ!」っていうクライマックスのどんでん返し的な衝撃や「ラブストーリー」としては弱いからダメなんでしょうね。私の感性においては「近親者の死」を「生きるプラスの力」として単純に定義づけてしまうことは、やはり浅くて陳腐にしか思えないので、母の霊魂に促されるというのも陳腐といえば陳腐だし。(苦笑)やはり春也は、死者の霊魂に促されたりする受動的解決ではなく、自分で答えをみつける能動的解決をしてくれなくちゃ、この先の春也が多いに心配でスッキリしなかったです。(苦笑) 結局のところ、作品を通じての製作側の一番の目的は、「死をもって生を知る」というテーマや春也の葛藤と克服の経緯をキッチリと伝えることではなく、「悲恋物を涙ながらに演じる相葉雅紀の頑張りを伝える」ことなんだなと痛感させられた舞台でした。そしてそういう目的においては、今回の作品は、大成功していると思います。

あと、初日の感想にも書いたけれど、クラッシック音楽の常識で考えるとチグハグで落ち着かない設定や台詞も、どうも今回の作品を好きになれなかった要素の一つ。パンフレットを見ると、劇中に登場する医学用語や医療現場のシーンは医療監修として成田赤十字病院の院長さんが指導なさったようですが、音楽用語にも監修係をちゃんとつけてほしかったと強く感じました。 ひとつひとつを見ると、あえて超メジャーどころをハズしたツウ好みっぽい単語を並べ立ててあるのですが、それらが横一列に並ぶとチグハグすぎて、そこで一気に物語の世界から現実に引き戻されちゃって、鑑賞中に雑念が入りまくってしまい、私は物語の世界に入り込めませんでした。 こんな風に重箱の隅をつつくのは、所詮演劇に馴染みのない人間による無粋な鑑賞の仕方なのだろうとは思うものの、本当にツメが甘いというか中途半端さが漂うというか、「どうせ、適当なことを書いたってわかるまい」と手を抜かれたような感じがするのが音楽ファンとしては本当に残念。まあ、このあたりの音楽に関する設定は完全にフィクションだと割り切って見ればいいのでしょうが、せっかく春也が熱く「夢を語る」見せ場のシーンなのに、こんなにチグハグなキーワードが羅列されてしまうと、フィクションと割り切るまでに時間がかかって、初日の段階では全く内容に集中できませんでした。いっそのこと、すべてを完全に架空の名称にしておいてくれれば、へんな邪念も入らず物語に集中できたのに、架空の名称の中に中途半端に生々しい単語を並べてくるから、その違和感が払拭しきれず恨めしく思いました。

以下、かなりマニアックに重箱の隅をつつきますが、普通「シカゴ(←オーケストラ名)のピアノを聞きに行きましょう!」なんて言わないでしょ? 普段オーケストラにないピアノという楽器がオーケストラに加わるとなると協奏曲、じゃあソリストは誰なんだ?(誰がピアノを弾くのか)ってのが重要なポイントだし、普通はそっちの名前がメインで、オケや指揮者はその次で 「○○(←人名)の弾くピアノを聞きに行きましょう!」って言うよね? 「シカゴ交響楽団!春也の好きなムーティという人の指揮!シカゴのピアノを聞きに行きましょう!」なんて言われたら、「だから指揮がムーティでオケがシカゴなのはわかったから、その肝心のピアノは誰が弾くの?」ってツッコミをいれたくなるってなもんです。ちなみに劇中のセリフでは、春也はシカゴのムーティのあとに「とくにピアニストのメラニ・サワー!(←架空のピアニスト?)あの人のモーツァルトの23番が!」と言っていたので、そこはその「春也の聞きたがっていたメラニー・サワーのピアノを聞きに行きましょう!」とか「春也の聞きたがっていたモーツァルトを聞きに行きましょう!」としておくのが普通かと・・・。このあたりの言葉足らずなセリフも、春也が憧れる指揮者をムーティではなく、クラッシック音楽ファンだったら誰しもが「シカゴ」「ピアニスト」「指揮者」「素晴しい」という単語から素直に連想するであろうバレンボイム(指揮者としてもピアニストとしても超一流)にしておけば、バレンボイムがシカゴ響で協奏曲の弾き振り(=ピアノを弾きながら指揮もすること)でもするのかしらと、ソリストの名前や詳細を省いたところで、ある程度ごまかせてリアリティも加えられるのに、あえて春也の好きな指揮者をムーティ、好きなオケをシカゴ交響楽団なんかに設定しちゃったもんだから、セリフの言葉足らずなところをツッコミたくなってしまう。ムーティはピアノ出身の指揮者ではあるけれど、とくにピアニストとして世界的に名声を博した人ではないし(録音があるらしいけれどそんなの一般的には全く知られていないし)、素直にピアニストとしても指揮者としても超一流でシカゴでも音楽監督として実績を残している「シカゴのバレンボイム」にしておいてくれれば(そして、できることなら「モーツァルト」を「ベートーベン」にしておいてくれたら)、指揮にもピアノにも両方に通用するし、本当にリアリティ満点で、その前後も含めて全部のツジツマがあって本当にスッキリするのに、もったいない。 

そもそも、どうして春也の憧れのオーケストラをあえて「シカゴ交響楽団」にしちゃったんだろう? だって、私に言わせれば春也のキャラって、アメリカのオケ、とりわけシカゴ響のイメージと正反対なんだもん。(苦笑) まあ世の中には本人のイメージと全く異なるものを好きな人もいて当然だし、実際にそういう人もいるだろうけれど、春也に「テクニックばかりを追求するようなコンクール受けする演奏に嫌気が差した」というような内容のセリフを、わざわざ『ヴィルトゥオーゾ(=演奏の格別な技巧や能力によって完成の域に達した、超一流の演奏家を意味する言葉)』という音楽用語まで使って語らせておいて、それで憧れているオケが、よりにもよってアメリカ(←どちらかというと欧州に比べるとヴィルトゥオーゾ養成国のイメージ)のオーケストラ、しかもシカゴ響(←数ある名門オケの中でも、とりわけヴィルトゥオーゾ勢揃いのスーパーオーケストラ)というのは、あまりにも春也のセリフと矛盾していて違和感を拭えなかったんだけれど、これは、春也君のテクニックへのコンプレックスだとか、素直になれない気持ちを際立たせるために、あえて真逆の「シカゴ交響楽団」というチョイスをしたのかしら? 欧州(ポーランド)にピアノ留学までしていた春也のキャラなら、やっぱり欧州オケ、欧州オケの中でも旧東欧圏の名門オケ(チェコ・フィルとか、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスとか、ドレスデンのシュターツ・カペレあたり)に憧れるのとかが似合いそうなのに、欧州のオケではなく、あえてアメリカのオケ(シカゴ響)に憧れているという設定にしたのは、セリフで『世界三大オーケストラ』という単語を使いたかったのだけれど、ベルリンフィル、ウィーンフィルだとベタだから、ツウっぽくシカゴにしてみましたみたいな安直なチョイスに思えて、ここでも気持ちが萎えました。 『世界三大オーケストラ』にこだわるのなら、むしろベタにウィーンフィルやベルリンフィルとか言ってくれたほうが、まだ欧州(ポーランド)にピアノ留学までしていた春也の背景的にも春也のキャラクター的にもしっくりくるのに・・・。

そこをあえてシカゴ響にこだわるなら、春也君の留学先をオケと同じアメリカ、それこそニューヨークのジュリアード音楽院あたりにしておいてくれれば、まだリアリティが生まれるのに、そこはなぜかマニアックにポーランド(タデウシ音楽大学というのは架空の名称?)だし、春也君のピアノ留学先をポーランドにしたのなら、劇中流れる曲や、憧れのピアニストが得意な曲は、ラフマニノフやモーツァルトじゃなくてショパンにしておいてくれれば統一性もあってスッキリするし、春也のキャラやビジュアルにはショパンがとっても似合いそうなのに、そこはあえてのラフマニノフだし、そして極めつけが「シカゴ交響楽団の芸術監督のムーティ」。(初日は「指揮者のムーティ」でしたが、千秋楽では「芸術監督のムーティの指揮」にセリフが変わっておりました。) ムーティは素晴しい指揮者だけれど、ムーティがシカゴ響の芸術監督に就任するのは2010年9月からで、現段階ではまだシカゴでは実績も録音も残していないわけだし、こういう生々しい名称をここで使われると春也は一体どこでムーティの指揮するシカゴ交響楽団の演奏を聞いたんだ?ってツッコミを入れたくなってしまう。 アメリカなら、せめてフィラデルフィア、欧州ならそれこそ『世界三大オーケストラ』のウィーンフィルあたりにしておいてくれれば、どちらもムーティ指揮の録音(=CD)も客演もたくさんあるし、フィラデルフィアにおいては芸術監督としての実績もあるので、春也が「ムーティが好き」「○○(オーケストラ名)が好き」という両方の言葉や組み合わせにもリアリティが生まれるし、音質的にも春也のキャラは、シカゴ交響楽団(大音量で元気一杯に鳴り響くダイナミックな金管)より、フィラデルフィア管弦楽団(柔らかくとろけるように弦をサポートする金管)や、ウィーンフィル(滑らかで豊かな金管)のほうが似合うと思うんだけどなー。なんだか「シカゴ」と「ムーティ」をセットで使っているセリフを耳にした瞬間に「インターネットで軽く調べて書きました。」っていう手を抜かれた感じがしちゃって、気持ちが一気に萎えてしまいました。ちなみに春也君が大好きだという指揮者のムーティは、以前、私が書いた「嵐を指揮者に例えると」のブログ記事の中で松本潤君っぽい演奏だと表現した指揮者です。

と、上記の不満点をクラッシックに詳しい友達や母(←舞台を見てもいない)に愚痴っていたら、「相葉君が『バレンボイム』とか『ライプツィヒ・ゲヴァントハウス』とか長い名前が覚えられなかったんじゃない?『ムーティ』とか『シカゴ』とか、覚えやすいし言い易そうだもん。相葉君用に単語を簡単なものに換えちゃったんじゃない?あて書きの脚本なだけに。(笑)」と言われてしまいました。ひどい・・・・。(涙) やれば出来る子なのに・・・。(涙) 今回もちゃんと頑張って『ヴィルトゥオーゾ』とか『アタック!』『アーティキュレーション』『ブレス』『スリット・ピアノ』『モルト・レガート』とか言ってたんだよ!初日は、かなり『う゛ぃるとぅおーぞ』『あーてぃきゅれーしょん』『もるとれがーと』と相葉クオリティがほのかに香る平仮名気味の発音ではあったけれど(苦笑)、千秋楽はそれすらもスラスラと感情をのせて言えるようになっていたのに・・・。

あ、でも、ここまで書き連ねてふと思ったこと。春也君の憧れであるシカゴ響は、春也が恋した「みっちゃん」のイメージなのかな? カンペキで、隙がなくて、華やかで、自分にないもの(=テクニック、夢みる心、想像力)を全部もっていて、憧れるけれど、ときどき見ていてしんどいっていうのは、私がシカゴ響やムーティの演奏に持っているイメージと重なるといえば重なる。でも、きっとそこまで深く考えては書いてないような・・・。母に言うと「シカゴ響は、『相葉君』本人のイメージから引っ張りだしてきたんじゃないの?相葉君のパブリックイメージにはピッタリよ。あの元気はつらつなパワフルなシカゴの音って」ですって。(苦笑)

というわけで、 初日の段階では、上記に書き連ねたような重箱の隅をつつくような雑念がグルグルと頭の中を渦巻いてしまうという無粋な舞台鑑賞しかできずで、全くストーリーにも舞台の中の登場人物にも入り込めずだったのですが、幸いにして再度鑑賞する機会を与えられ、その際に初見で感じた全ての不満を「所詮ジャニーズ舞台だから」「これはフィクションだから」と完全に割り切って、演劇鑑賞というスタンスよりも、どちらかというと相葉ウォッチングに集中して鑑賞してみたら、雑念に邪魔されることもなく普通に楽しめました。所詮、私は一生懸命頑張っている相葉さんを眺めているだけで幸せになれる安い“あいばか”なんだよね。(苦笑)

そして初日のブログ記事に「泣かされて帰って来た」と書いたことからもわかるとおり、脚本に関しては上記に書き連ねたようないろんな不満があるにせよ、相葉さんを含む演者さんたちの真摯な演技は、どれもこれも胸を打つものがあり、それぞれの境遇のせつなさや苦しみは、その方々の演技からそれぞれに「痛み」や「悲しみ」「優しさ」「思いやり」として伝わってくるものがあったので、ストーリーの根っこの部分や軸になるメッセージには納得していなくても、気がつけば登場人物に共感して涙しておりました。とりわけ、父と春也の口論のシーンでは、双方の思いの切なさ、やるせなさが田山さんと相葉さんの熱演から伝わってきて胸を打って泣かされました。

相葉さんは、さすが自身に宛書された脚本なだけあって、等身大のキャラクターである春也君を堂々と演じきっておりました。友人各位からの報告とを照らし合わせてみても、相変わらず、日や回によって仕上がりの差が極端に出るあたり(異常なまでにセンシティブすぎる時もあれば、感情を抑え気味に表現する時もあったり、)、まさに「舞台は生モノ」であることを伝えるかのように演技が毎回しっかりとは安定しないという相葉クオリティは残ってはいるものの(苦笑)、以前、それこそあの頃に比べると格段に上手になって安定度は増していたし、表現の引き出しが増えていたし、背中や後姿だけでも、その時その時の春也の感情が見えるようになっていました。とりわけ相手がいる会話形式の場面は、どの感情表現も違和感なく演技が自然になっていて、前回の舞台時に完全にクリアすることのできていなかった、普段言い慣れない単語を自然に感情を込めて語ることや、「怒り」の感情表現や声を荒げるシーンも違和感を感じさせることなく演じており、舞台に立つ姿がかなり板についていました。とりわけ先述した父親との口論のシーンなどは、素直に見ている側の心を打つ芝居でしたし、泣きの演技も泣き顔はブサイクでしたが、泣いていてもセリフはしっかりと聞き取れたし、初日はぎこちなかった音楽用語だらけでの場面も、千秋楽には、本当に感情たっぷりに表現できていたし、本当に以前に比べると、最後まで安心してみていられる立派な俳優さんでした。今後の課題として気になった点を挙げるとしたら、「独白」の部分や「1人芝居」の部分でしょうか。相手がいないセリフ、客席に語りかけるようなセリフは、まだ、照れが見えるというか、力みすぎているというか、気負いが感じられるというか、あまり得意でない印象が残ったので。それも初日にくらべると千秋楽の段階では、かなり自然に無理なく言えており、この30公演を経てのさらなる成長を感じました。ちなみに私は、大熱演の相葉さんよりも、感情を抑制しながら静かに燃えているときの相葉さんの芝居のほうが好きです。感情を抑制しながら穏やかに静かに燃えているときの相葉さんの表情や言葉は、心にグっとくるものがありました。

そして今回、改めて感じたのは、以前も語った相葉さん特有の「何を演じていても相葉君本人が透けて見える」効果っていうのは、相葉さんの弱点だと思われがちだったけれど、案外、これは相葉さんならではの強みでもあるんだなということ。相葉さんの小細工なしの真摯で真っ直ぐな独特の一生懸命さは、どの役を演じていても全身から滲み出ていて、それは決して見る側にマイナスなものではなく、ヲタクの色眼鏡を外しても、一般的に心を打つものに思えたので。 今回の場合、舞台上でピアノの才能という壁にぶち当たってもがき苦しみながら一生懸命自分の道を探そうとしている春也君は、そのまんま、表現することを模索してもがき苦しみながらも舞台演劇にしがみついている相葉雅紀さん本人と重なり、その一生懸命もがきくるしみながら体当たりで役と向き合っている真摯な姿、少しずつではあれど答えを掴んでいって自信を身につけて上達している様子、それらの目に見える小さな成長は、今までの相葉さんの演技仕事を見守ってきたファンにとっては、ただただ涙腺を刺激するものでした。小手先の技術なんて何も持ち合わせていないけれど、ただただハートでぶつかっていく、心を役柄に近づけて行く、それだけのシンプルなスタイルで勝負しつづけていく姿、そしてそんな方法で築き上げてきた相葉さんの役者としてのキャリアの中で、その透けて見える相葉雅紀本人の度合いが今回どんどん薄まっていることに気づかされると、そこにたどり着くまでの努力を感じて、胸がいっぱいになってしまいました。

その他のキャストの方々についてですが、初舞台だという上原美佐さんは、立ち姿も美しいし、声も通るし、春也君に大きな影響を与える存在である恋人みっちゃんを好演しておられたと思います。春也君とみっちゃんが惹かれあっていく様子や、お互いがお互いを愛おしく思う空気は、時間の経過、公演回数の経過と共に自然さがどんどん増してきた印象を受けました。二人が会話するシーンは本当に微笑ましく、可愛らしく、そして心底羨ましかったです。(笑)  あと妹役の保可南さんも、やはり演劇畑の人は流石だなと思わせてくれる演技力で素晴しかったし、お父さん役の田山涼成さんは、頑固オヤジの下駄職人がハマっておられ、男泣きの芝居もグっとくるものがありました。藤田朋子さんに至っては、そんなにセリフが多いわけではないし登場場面が多いわけでもないのだけれど、声がひじょうによく通り、発する一言一言の説得力が素晴しく、さすがの演技力で圧巻でした。病院の先生の相島さんが醸し出す独特の穏やかさや落ち着きも貫禄があってステキでしたし、道化役のような役どころの幼なじみ役の方々は、若干煩く感じる部分もなきにしもあらずでしたが、あの辛気臭い内容に笑いを加えて、全体の空気を明るくする大きな役割を担ってくれており、とりわけ日替わりのアドリブトークがとても面白かったです。

私が今回一番好きな相葉さん(というか春也君)の表情は、みっちゃんと三途の川で別れる直前に、やりたいことや夢をドンドン語りはじめる場面。このシーン自体が好きなわけではないのですが、この夢を語り始めるシーンを演じているときの相葉さんがとても好きでした。 みっちゃんを一人で逝かせて自分だけ現世に戻るのは「いやだ、いやだ」と泣き崩れ、「僕は、なにをしてあげればいい?キミには、いつもしてもらうばっかりで・・・。」と泣きながらぐしゃぐしゃの顔で尋ね、「私を安心させて!」と言われてから、現世に戻る決意をし、それをみっちゃんに伝えて、これからの自分の夢を語りだすあたりの笑顔。悲しみと罪悪感のどん底から気持ちが切り替わって、この晴れやかな笑顔に変わるまでの一連の表情の変化、夢をかたりはじめていくうちに笑顔が輝きはじめる。このじわじわと笑顔を取り戻して行く表情の変化、そしてすべてを悟った顔で階段を降りてくる姿を眺めるのが大好きでした。この笑顔が見れただけでも、この笑顔や表情を引き出せるようになるまでの努力、お稽古の成果を、この目で感じられたことが幸せでした。というわけで、作品(脚本)には不満も多々あれど、結局のところ、私は一生懸命頑張っている相葉さんを眺めているだけで感動できる体質なんだなと、じぶんの『あいばか』っぷりを改めて悟り、まんまと製作者の意図にハマっているヲタクな自分を再確認した舞台でした。 でも、もし次にあるとしたら(もう本当に当分なくていいけれど)、作品単体としても満足できる完成度の高い脚本で頑張る相葉さんが見たいです。(苦笑)

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スティーブン・バーコフという演出家

今日は自分用のメモ。日付は遡るけれど4月7日の夜の話。4月7日の日本経済新聞の夕刊の文化面の演劇評を手にした母が、私にそれを差し出して「あなたの大事なお坊ちゃん(=ダーリンのこと)のお芝居を見に行くのもいいけれど、どうせ演劇を見るのなら、こういうのも見なさいよ。私の大好きな演出家なのよ、スティーブン・バーコフ。本当に素晴しいから、一度みておきなさい。」と手渡された記事に目を通すと、カフカの「変身」をスティーブン・バーコフが演出して舞台化したものが大阪でも上演されたらしく、その舞台評が載っていた。主演は森山未来だったらしい。母は、この作品が外国人キャストで上演されたものを以前見たことがあるらしく、といってもテレビ中継のお茶の間鑑賞なのだけれど、それでも鳥肌がたつぐらい大感動したのだとか。「バーコフの『変身』の演出も素晴しかったんだけれど、『サロメ』も本当に素晴しい演出で大感動したのよ。本当に機会があったらバーコフの演出する舞台は見たほうがいいわよ。」と言われた。そこまで言われたら妙に気になるので、今後、スティーブン・バーコフという人の名前を忘れないように、ブログに書き残しておきます。

| 観劇・狂言・落語 | 22:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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舞台「見知らぬ乗客」

先日既に、無事に上京して8月7日のマチネ公演を鑑賞してきた報告は済ませてありますが、(※参照記事こちら)本日、舞台「見知らぬ乗客」も無事に千秋楽を迎えたようなので、改めて、ネタバレも含んだ内容等についての詳しい感想をまとめておこうかと思います。(※画像及び文章の無断転記は、くれぐれも御遠慮ください)

毎回、レビューを書くまえにお断りしておりますが、私は、もともと舞台演劇というジャンルが好きではありません。言葉で人に聞かせるように感情を表現するという行為を見るのが苦手なのです。(だから言葉を使わずに感情を表現するバレエが好き。) なので、演劇自体もそれほど数は見ておりませんし、アッカーマン作品を見るのも今回が初めてで、専門的な知識もないド素人です。そんな人間が、たった1回の鑑賞のうろ覚えの記憶を元に書いた一つの感想にすぎないということを御理解の上、読みすすめていただければと思います。

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舞台「見知らぬ乗客」
【キャスト】
二宮和也 内田滋 秋吉久美子 パクソヒ 宮光真理子
巌大介 岡田あがさ 岡田さやか 川辺邦弘 倉本朋幸 深貝大輔

【原作】 パトリシア・ハイスミス
【作】 クレイグ・ワーナー
【演出】 ロバート・アラン・アッカーマン
【衣装】 ドナ・グラナータ
【翻訳】 広田敦郎
【美術】 今村力
【照明】 沢田祐二
【音響】 高橋巖
【映像】 荒川ヒロキ
【ヘアメイク】 鎌田直樹 野村博史
【舞台監督】 小林清隆 舛田勝敏
【制作】 杉田靜生 梅木直美
【キャスティングプロデューサー】 大川泰
【アソシエイトプロデューサー】 川名康浩
【プロデューサー】 堂本奈緒美 麻田幹太 外丸智宏
【企画・製作】 Quaras
【主催】 東京グローブ座
【公演日程】 2009 / 7 / 18(土)~ 8 / 11(火)
【公演場所】 東京グローブ座
【鑑賞日】 2009 / 8 / 7 13:00~

チケット料金
S席:8,500円 A席:7,500円 B席:5,500円 (全席指定・税込)



この舞台は、ファンクラブで落選、一般発売も撃沈、戻りチケットの発売のために有給休暇を取得しロッピーの前で待機したものの撃沈、掲示板で「譲る」の掲示に申込んだ回数は数しれず、公演初日以降は欠かすことなく当日券の電話を毎日繰り返し親指にリダイヤルたこができるほど、それでもチケットが手に入らないという苦しい日々を経ての、土壇場で当日券ゲット&運よくダブって取れた国立競技場のライブチケットと舞台チケットを交換してくださる方が現れるという降って沸いたような幸運でチケットを手に入れることができたという経緯があり、本当に見れると決まるまでの日々が長かった。

その長い日々の間にパトリシア・ハイスミスの原作は、あらかじめ読んで予習済。(※参照記事こちら)私の場合は、先に原作を読んでおいてよかったと思いました。たった1回の鑑賞で隅々まで意識を張り巡らせて鑑賞することができたので。原作を読む前の段階で、私は既に配役を知っていたので、ブルーノは二宮君をイメージして何の違和感も感じずに読みすすめていたのですが、舞台化のことを全く知らなかった私の母は、ブルーノを二宮君が演じるということを読書後に伝えると「えーーーーーーー、イメージと全然違う!もっと大柄な男性のイメージで読んでたわ。イメージで言うならTOKIOの長瀬君や松岡君みたいな雰囲気。あんな小さくて華奢なブルーノじゃ、ミリアムを押し倒して殺せないんじゃないの?(苦笑)」などと言っておりまして、同じく原作を読んだことのある友人の妹のAちゃんも「大柄な男の人で、ニノのイメージじゃない」と言ってたとのことで、一般的に原作からはニノっぽくないと認定されがちな役どころの様子。そんな役をどう演じてくれるのか、非常に楽しみにして劇場へ。

今回の舞台は、世界各国で既に上演されているクレイグ・ワーナーの脚本をそのまま翻訳したものを使っているわけではなく、それにさらに手を加えてハイスミスの原作から数シーン加え、結末も変えてあるみたいです。私はワーナーの戯曲のほうは未読なのですが(英語で読むのがめんどくさくて放棄した)、ワーナーの戯曲も読んで、ハイスミスの原作も読んで、今回の舞台も鑑賞した友人曰く「今回の舞台は、ワーナーの脚本よりも、かなり登場人物や場を増やしてある」とのこと。実際に私が目にした舞台は、原作を読んで想像していた以上に場が細かく分けてあって、場面転換がとても多く、少し驚いたぐらいでした。ちなみにワーナーの脚本では、ガイの妻のミリアムは登場せず、ブルーノによるミリアム殺害シーンなどもないそうです。

まず、作品自体についてですが、非常に完成度の高い作品でした。原作のもつ緊張感、緊迫感をそのまま伝える洗練された脚本で、とにかく全く中だるみしないスピード感が印象的でした。舞台装置も含め、作品として、ここまで無駄なくテンポよく、そして判りやすく美しく作り上げる演出力は、ただただ圧巻としかいいようがありません。先述のとおり、かなり場を増やしてあるので、必然的に場面転換も多いのですが、そのどれもがスムーズで、散漫さやドタバタ感はなく、見ている側の感情の途切れを感じさせる要素がありません。衣装やセットもモノトーンを基調としており、幸せな場面では白を、陰鬱な場面では黒がメインとなっていて、そのメリハリが心理状況とリンクすることもあって非常に視覚的にもわかりやすく、とにかく総合的に非常にクオリティの高い作品でした。そして、この作品のもつ独特の緊迫感や緊張感を劇場空間に張り詰めるには、今回のグローブ座という劇場が最適で、これ以上では無理だっただろうとも思いました。これ以上に大きな劇場になってしまうと(それこそ大阪のBRAVA!サイズでも)、役者の仕草や目線や表情を肉眼で捉えることに限界が出てくるだろうし、肉声でなければ、この独特の緊迫感や緊張感が薄まってしまって、この作品の魅力が消えてしまうだろうなと、見ていて痛感しました。あらためて、血を見るようなチケット争奪戦が目に見えていても、この劇場サイズでの上演に拘った意味を感じる内容でした。

上演中にひたすら続く緊張感もそうですが、物語自体も破滅に向かう二人の男(ブルーノとガイ)、とりわけ精神的に追い詰められてどんどん壊れていく二人の心理劇。しかも、もともとの物語自体に救いがなく、破滅に向かう二人をただ見守るしかないので、見終わった後の疲労感というのは本を読んで想像していた以上のものでした。もともと演劇というジャンルが得意ではない私の場合は、とりわけ1幕の冒頭の列車のシーンで、舞台演劇特有の早口でブルーノがまくしたてる台詞まわし、この最近の舞台演出でよく使われているような“ザ・演劇”的なセリフ回しに鳥肌がたつほどの苦手意識を感じ(本当に、苦手なんです、こういうザ・舞台演劇系の台詞回し)、苦手なものを無理矢理食べるときのように全身の力をふりしぼって身構えて鑑賞していたこともあり、本当に見終わった後はドっと疲れました。裏を返せば、もう非の打ち所のない正統派演劇なので、純粋な演劇好きにはたまらない作品だと思います。二宮主演と謳っていても、そこにはジャニーズ臭は皆無なので、むしろ、ただ二宮さんのビジュアルを追いかけて鑑賞するジャニーズファンよりも、1人でも多くの純粋な演劇ファンにこそ見てもらいたかったと思うぐらい、一つの演劇作品としてクオリティの高い作品でした。といいつつ、私も二宮目当てで鑑賞しにいったうちの1人なので、偉そうなことは言えないんだけどね。(苦笑)

私はワーナーの戯曲を読んでいないので、ハイスミスの原作との比較のみになりますが、原作に比べると、今回の舞台はブルーノとガイの関係性に同性愛的な要素を強めてあった気がします。ハイスミスの作品には、こういう要素を忍ばせてあることが多いし、実際に「見知らぬ乗客」の原作でも、それっぽい雰囲気は感じられますが、舞台のほうが顕著に匂わせてある感じです。パンフレットを読むと、アッカーマンさんは、二宮さんがブルーノを演じるに当たり「同性愛」を意識するようにハッキリと指示されたとのことなので、これはアッカーマンさんの解釈なのでしょう。あとブルーノと母エルシーの関係も、原作よりも舞台のほうが濃密で、単なる子離れできていない親&マザコンの息子という枠を超えた近親相姦的な空気すらも滲ませてある感じがしました。「同性愛」や「近親相姦」という二つの禁断的な要素が加わることによって、原作以上の緊張感と息苦しさとが加わり、さらに濃密な空間となって、見ごたえという名の疲労感も増幅された感じでした。

私の場合、テレビドラマや映画等、映像での二宮さんの演技は何度も目にしているけれど、舞台で演じる二宮さんを見るのは実は初めて。先日(=鑑賞した日)の記事にも書きましたが、ジャニーズ舞台だから、まず二宮和也ありきの構成と演出なんだと思っていたのだけれど、実際に目にしたものは、ちょっと想像と違っていて、これは演出家のアッカーマンありきの舞台なんだということを見ていると痛感させられました。主演の二宮さんですらコマの一つでしかないというか、もちろん主演ですから見せ場は山ほどありますが、いつもの二宮流(≒既にある演技の引き出しの中からカードを選んで出してくるような芝居)ではないというか、二宮らしさ(≒今まで使い慣れていた手持ちのカード)を完全封印しているというか、とにかくアッカーマンの用意したブルーノという型枠にキッチリと嵌め込まれた(=はまり込む努力をした)俳優:二宮和也を見せてもらったという雰囲気の舞台でした。なので、二宮風ブルーノではなく、あくまでアッカーマン風ブルーノとよびたくなるような、どこにも私の見慣れた嵐・二宮和也がカケラも存在しない、むしろ演者が二宮さんであることを忘れてしまうようなブルーノでした。それはある意味、大きな感動であり、俳優:二宮和也ファンとしては、心底、才能に惚れさせられる空間だったのですが、それと同時に嵐・二宮和也のファンとしては、どこにも嵐・二宮和也の存在しない空間というものは、どこかさびしくもあり、なんとも複雑な心境でした。

今回、初めて舞台で生で演じる二宮さんを見て、気がついたのは彼の声力。とにかく、よく通る声で、耳に心地のいい滑舌で、発声がとても聞き取りやすい。もともと嵐の中でも声量が一番大きい人だとは思っていたけれど(なのでユニゾンパートで彼が音程をハズしたときの破壊力も絶大・・・。苦笑)、一幕冒頭のブルーノがガイに早口で喋りまくる場面も、ハキハキとしたよく通る声で弾丸のように早口で喋りまくるのですが、その一字一句が、すべてキッチリと聞き取れる。後半に来ても、囁く声や、涙声、どれも綺麗に会場に響きわたって通るので、台詞の一つ一つがしっかりと聞き取れるので心に入ってきやすい。これは舞台で演じる者にとって大きな財産だと思いました。普段、テレビや映画などでの御芝居を見ていると、二宮さんは、言葉よりも表情と目で演じる人という印象が強かったのだけれど、表情や目は言わずもがな、言葉でも仕草でも体中で演じれる人なんだ、やはり彼は俳優になるべき才能を持って生まれた人なんだなーと改めて感じました。

そして、二宮君の演じたブルーノという青年。原作から既に非常に痛々しい人物ではあるのですが、舞台用に付け加えられた場面や設定のせいもあって、小説以上に「可哀相」「気の毒」という気持ちを強く感じました。あと、原作以上にブルーノの幼児性みたいなものを強く感じました。原作を読んだ段階では、ブルーノを「精神的に幼い人物」だと捕らえていたものの、その「幼児性」は「可愛い」と直結はしていなかったのだけれど、舞台で二宮さんが演じるブルーノを見ていると、その幼児性を可愛いと感じている自分がおりました。はた迷惑な可愛さなんだけれどね。(苦笑)

私が最もせつなさを感じたのは、ブルーノがガイに「おまえが(警察に)話したのか?」と疑われて問い詰められる場面。そこでのブルーノの怯えたような泣き出しそうな驚きの表情と、「僕が言うわけないじゃないか!100万年経っても、100万ドル詰まれても、絶対に言わないよ。言うわけないよ。」みたいなニュアンスのセリフを訴えるシーン。大好きな人に疑われたときのショックと、必死で弁解したい気持ちと、伝えたい愛情が混ざり合ったような声のトーンと表情と仕草が、もうなんとも切なくてグっときました。あと、母親エルシーに見捨てられた後の「ママー!ママー!」と狂ったように泣き叫ぶシーン。この「ママー!ママー!」と連呼する合間に、1度だけ「おかあさん・・・・。」と呟いていたと記憶しているのですが、この「おかあさん・・・」と呟いた部分が本当に痛々しさ満点で胸を打ちました。ちなみに、原作には、母親に見捨てられるという場面は存在しません。母親とブルーノの関係は、原作では最後まで同じです。

あと、「怒り」を表すときの二宮さんの眼光の凄まじさも印象的。ことあるごとに常々しつこいほど言っておりますが、私は、怒っている演技をしているときの二宮さんに独特の色気を感じており、最高に色っぽい!と思うのは、いつも「怒り」を表す瞬間だったりするのですが、今回の舞台でも「怒り」を表現する場面が何度か登場し、その都度放たれる独特の色気にゾクゾクさせられました。激昂したり、静かに怒ったり、怒りの表現も多種多様に登場しておりましたが、一番色気を感じたのは静かに怒っているとき。ガイとアンの結婚記者会見をジーっと見守っている目なんて、嫉妬と憎悪と怒りと愛情が入り混じった表情にゾクゾクしました。怖エロい。(笑) この作品では、イライラと怒っている場面がけっこう多いので、怒る二宮好きとしては、そういう意味では非常に見どころらだけでした。

ブルーノの最期は、原作では船から転落しての溺死です(※事故なのか自殺なのか明確にはされないまま、判断は読者にゆだねられている)が、今回の舞台では、ガイの所持していた拳銃での暴発事故のような自殺のような、これまた見る側に判断はゆだねられているようなラスト。「僕が自殺をするなら、一番憎い相手を犯人に見せかけるような自殺をしてやる」だとか、息を引き取る際の「ありがとう」等の数々のセリフや伏線からも、これを「自殺」だと解釈しない人は少ないとは思いますが、そう考えると、望みどおりに一番憎い相手を犯人に見せかけるような(=愛する人の手で殺されたような)自殺をして死んでいった舞台のブルーノは、1人で水の中に沈んでいった原作のブルーノよりは幸せだったんじゃないかな?と、そこに僅かな救いを感じたりもしました。ただ、このブルーノが息を引き取った場面でガイがブルーノに対する「愛」を吐露するシーンや接吻する演出は、「愛」と「憎しみ」は表裏一体なのだという説明で片付けるにしても、若干唐突だったような気もしなくはありません。結末は、舞台ではガイが自首するという形になっていましたが、原作は違います。原作では、ブルーノの死後、ガイがとった行動が裏目に出て、結果的に罪が露呈しガイが逮捕されて終わります。どちらが面白いかと聞かれれば、私は原作のオチのほうが面白いと感じたけれど、今回の舞台作品全体としてのまとまりを考えると、やはり今回は、ガイの自首という形での終わり方がベストなのかなという気はしました。

そのほかのキャストでは、やはりガイ役の内田滋さんが印象的でした。二宮さんとダブル主演のような役どころだし、ブルーノと真正面からぶつかる役だから、二人の演技力やビジュアル、いろんな資質が対等でないと、この作品はダメになる。その点、内田さんは、ビジュアルも爽やかで舞台栄えするし、非常に声量も大きくてしっかりしていて(ご本人のブログ記事によると喘息持ちで途中発作が出たりしてたいへんだったようですが)、私が見た回では、セリフもとても聞き取りやすく、演技力もしっかりと説得力があって、ガイという真面目なキャラクターの雰囲気にもピッタリで、二宮さんと二人でこの作品のクオリティを保ってくれていたと思います。とりわけ2幕以降の壊れていく様子だとか、イライラしながらも、どこかブルーノへの愛が見える雰囲気が、なんとも奥深くて印象的でした。しかし、ここまで追い詰められる役をマチネ、ソワレと1日2公演×約1ヶ月演じた内田さんの心労は、ブルーノを演じた二宮君以上に凄まじかったことでしょうね。見ている私ですら1回見ただけでヘトヘトに疲れるのだから。(苦笑)

秋吉久美子さんのエルシーは、原作のエルシーのイメージではなかったのですが、舞台版のエルシーとしては、かなり役柄に似合っておられたし、声量もあったし、セリフも聞き取りやすかったし、金髪も似合っておられたし、息子との怪しい関係を醸し出す雰囲気と色気も似合っていたし、個人的には全く不満はありません。それにしても、噂の胸の谷間は本当に凄かった。思わずオペラグラスでみちゃいましたから。(笑)あの胸元のすぐ近くに顔を寄せるシーンが何度かあったブルーノ二宮さんもたいへんだっただろうな。(笑)

ただ、もう、どうにもこうにも残念で仕方がなかったのがアン役の宮光真理子さん。明らかに力量不足かと・・・。まず声量が全くもって足りていないので、声が届いてこないし、セリフ回しも一本調子で微妙。しかも、常にガイとブルーノの間に立つ役どころゆえ、演技の出来る2人(二宮さんと内田さん)の間に入ってくることもあり、ひたすら演技力の差が目だってキツかった。いくらアッカーマン作品の常連でも、明らかに実力的な見劣りが否めないだけに、もう少しできる人を配役しておいてくれれば・・・と残念で仕方がありませんでした。それに比べて、ミリアム役の女優さんの演技達者ぶりは圧巻。殺されても仕方がないかもと思わせる憎たらしさが滲み出ており、殺され方も妙にリアルで怖かった。いっそのこと、ミリアムとアンの配役を変えてほしかったぐらい。あと、演技力云々ではないのですが、どうして、ジェラードを、あんな風にマッチョ路線を強調させるようなキャラに変えちゃったんだろう?無駄に上半身裸になって肉体美をみせたがるジェラードが、なんだか意味不明で、作品からかなり浮いている気がしました。普通でいいのに。まあ、それもアッカーマンさんの嗜好なんでしょうか?(←意味深)

と、なんだか、とりとめもなく書き連ねましたが、とにかく演劇作品として完成度の高い作品で、見終わった後も、ずっとブルーノという人間について考えてしまいます。それだけ心に残る印象は強い作品、ただし、ドっと疲れるという。(苦笑) そんな感じの作品でした。こんなに素晴しい作品なのだから、できることなら、一般の方々の目に触れる機会を設けてほしい。それこそNHKの芸術劇場とか、WOWWOWの有料放送でもかまわないから、テレビで放映してくれればいいのになぁ・・・。(遠い目)

カーテンコールもジャニ臭ゼロ。ひとこと「ありがとうございました」と二宮君が声をかけたのみ。まあ、客席には、例に漏れず「にの~♪」と叫んでいた空気の読めない人もいましたけど、上演中にキャーキャー騒いだり、オシャベリしたり、奇声を上げたりするような非常識な人は、私が見た回ではいなかったし、もう、そういう隙すら与えない緊迫感のある作品だったので、そういう点でも、完成度の高い芝居を見た感じがしました。とにかく、この貴重な舞台を見ることができて、本当に良かった。疲れたけどね。(苦笑)


クレイグ・ワーナーの戯曲はこちら

057301972XStrangers on a Train (French's Acting Edition)
Samuel French Ltd 2003-02-20

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原作は残念ながら現在絶版中。

4042518028見知らぬ乗客 (角川文庫)
Patricia Highsmith 青田 勝
角川書店 1998-09

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英語で読むって手もあります。英語版はマーケットプレイスでも安い。

0099283077Strangers on a Train
Vintage 1999-08-12

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0140037969Strangers on a Train (Penguin crime fiction)
Patricia Highsmith
Penguin (Non-Classics) 1979-06-28

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ヒッチコックの映画はこちら。

見知らぬ乗客 [DVD] FRT-106見知らぬ乗客 [DVD] FRT-106
アルフレッド・ヒッチコック, パトリシア・ヒッチコック, ルース・ローマン, ファーリー・グレンジャー, アルフレッド・ヒッチコック


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舞台「グリーンフィンガーズ」

改めて、作品の感想を。かなり長いです。尚、一応、1ヶ月近く熟考に熟考を重ねて書いた文章ゆえ、無断転記(※画像も含む)、無断リンクは、くれぐれも御遠慮ください。

greenfingers001_s.jpg greenfingers002_s.jpg

 『グリーンフィンガーズ』
 [演出]宮田慶子
 [翻訳・脚色]高平哲郎
 [出演]相葉雅紀 平幹二朗 
     いとうあいこ 山田純大 住田隆 なすび 
     本田有花 田島令子 石田太郎
     天田益男 池内万作 田上ひろし 片岡正二郎 廻飛雄 永田恵悟 大沼遼平
     西原純 竹岡真悟 太刀川亞希 窪田壮史 高木正晃 蔭山嘉一 田口貴史 他
 [音楽監督・作曲・ピアノ]稲本響
 [生演奏] MaL 江口心一 平岡雄一郎
 [美術]松井るみ 
 [照明]中川隆一 
 [音響]長野朋美 
 [衣裳]半田悦子 
 [振付]振付稼業 air:man 
 [公演期間]東京公演:2009/2/23~3/10 青山劇場
        大阪公演:2009/3/20~3/23 梅田芸術劇場メインホール


まず、私は、もともと、この舞台の原作となっている映画が大好きです。原作が大好きだということは、やはり舞台化に際して、作品自体に求めるものも大きかったりします。おまけに、私は、もともと舞台演劇というジャンルが好きではありません。言葉で人に聞かせるように感情を表現するという行為を見るのが苦手なのです。(だから言葉を使わずに感情を表現するバレエが好き。) なので、演劇自体もそれほど数は見ておりません。専門的な知識もないド素人です。そんな人間が書いた感想だということを御理解の上、読みすすめていただければと思います。

今回、私は、
東京公演:青山劇場
  2009年2月23日 19:00~ 
大阪公演:梅田芸術劇場
  2009年3月20日 18:00~  
  2009年3月21日 13:00~  
  2009年3月21日 18:00~  
  2009年3月22日 13:00~  
  2009年3月22日 18:00~  
  2009年3月23日 13:00~  
と上記の7公演を鑑賞させてもらいました。(※それぞれの公演の簡易レポは当日の日付の記事にて報告済) 座席は出演者たちの顔の皺や汗まで肉眼で見れるぐらいの1階の前方席から、1階中央センター付近、2階席、3階前列、3階最後列と幅広く、いろんな角度&いろんな距離から、この作品を鑑賞させていただきました。いろんな席から見て感じたのは、この作品は、どの席からでも楽しめるように考えて作ってある作品でしたし、相葉君を含め、出演者たちの演技は、3階後方であろうが、端っこであろうが、どの席へもちゃんと気持ちを届けてくれるレベルのパフォーマンスだったように思います。

音声面では、東京公演は、出演者たちはピンマイクは装着しておらず、劇場内に設置されているマイクで全体の音を拾うような形だったように感じました。大阪公演は、各出演者がコメカミのところにピンマイクを装着していたので、各個人の声をそれぞれ拾うようにしてあった感じ。

東京での初日公演を見終わった段階で、あえて感想を書かなかったのは、まだ御覧になってない方々へのネタバレへの気遣いという理由もありましたが、実は、東京初日を見た後のこの作品に対する私自身の評価が非常にネガティブなものだったので、そのネガティブな原因を再確認し、自分の中で咀嚼してから、きちんと感想を書きたかったという理由もありました。 もちろん初日の日記に書いたとおり、「グリーンフィンガーズ」という物語自体は、オリジナルの映画同様にとても心温まる物語で、音楽はステキだったし、舞台美術は美しかったし、相葉さんの演技面での成長も感じたし、他の出演者たちの演技も素晴しくて、それより何より相葉さんの精一杯がと一生懸命さが、とてもしっかりと詰まった舞台だったし、その部分だけに目を向ければ、とてもポジティブな気持ちにもなれたのですが、何が私をネガティブな気持ちにさせたかというと、作品の構成とセリフ(要するに脚本)。とりわけ、オリジナルに手を加えて付け加えられた部分が不満で不満で、どうしてもポジティブな気分にはなれませんでした。

私の場合、とにかく、もともとのオリジナルの映画を気に入っているだけに、作品に対して思い入れが強いということが仇となり、構成上のメリハリだったり演出の点で自分の感性と合わない部分が気になって、「ここは、もっと丁寧に描いて欲しかったのに・・・。」とか、「そんな余計なものをなぜ付け足すんだろう?」とか、「そのエピソードに、そこまで時間を割く必要があるんだろうか?」とか、東京初日を見終わった段階ではモヤモヤしっぱなしでした。 

舞台作品として構成上の不満としては、まず全体の尺の長さ。ファンとして、3時間近く出ずっぱりの相葉さんを眺めていられることは至福の時間ではありますが、一つの演劇作品としては、初見の印象では、ちょっと長すぎる気がしました。青山劇場や梅田芸術劇場という大きな劇場ということを意識して、エンターテイメント性を高めることに集中しすぎたせいか、欲張りすぎて、いろんなものを詰め込みすぎた感じがして、その詰め込みすぎた物を全て見せることに執着しすぎて、全体が駆け足でせわしなく散漫な印象を受けました。それを顕著に感じたのが場面転換。 20分の休憩を挟んだ全2幕構成なのだけれど、その2幕の間に一体何場あったんだ?っていうぐらい、細かく、めまぐるしく場面が変わる。 複数回見れば、それぞれの場や台詞に持たせた意味や伏線も理解できたので、初見のときほどの不満は感じなくなりましたが、初見一回のみでは、ここまで細かく場を分ける必要があるのだろうか?という疑問が残りました。

舞台装置は、前回の「忘れられない人」同様、宮田さんお得意の回転形式。中央に大木を据えた回転形式で場面転換するセットを使った舞台装置は視覚的に美しく秀逸。しかも、それらの場面転換を生演奏で繋ぐという演出を加えたことによって、シーンとシーンの繋ぎ目の感情の途切れを払拭する効果や次のシーンへのワクワク感を高めてくれる効果があり、とても素晴しい演出だったと思います。

しかし、その回転方式の舞台装置や生演奏を持ってしても、めまぐるしい場面転換によるストーリー展開の慌しさみたいなものは払拭しきれておらず、作り手も尺の長さや場面転換の多さを意識してか、各シーンをかなりテンポ良く仕上げたことによって、中だるみは防げているものの、元々詰め込みすぎな台本をテンポアップして進めるので、初見1回のみで登場人物(とりわけ囚人たち全員の個性や背景)を把握するのはたいへんだし、駆け足で進めるせいで、それぞれの登場人物の感情の変化が唐突に見えることもしばしば。これは役者たちの演技力云々というよりも演出(脚本)に原因があるように感じました。 

東京初日を見た段階では、映画を知らない人は、果たして初見で内容についてこれるのだろうか?登場人物たちの感情の変化についてこれるのだろうか?囚人全員の背景と人間関係を初見1回のみで把握できるのだろうか?と心配になりました。実際にストーリーを知っていても、初見では感情の変化が唐突に感じたりする場面もあったし、映画よりさらに増員されていた囚人たちの個々のキャラクターや背景を把握しきれなかったので。ただ、東京初日と大阪初日の間に、かなり地味に細かなマイナーチェンジは行われていたようで、スタッフやキャストが場面転換に慣れたこともあってか、大阪公演は、東京初日に比べると、さらに展開もスムーズで、わかりやすくなっていた感じもしました。 相葉君のダンスシーンをかなり減らした(&目立たなくさせた)よね?東京初日は、もっと踊っていた印象。相葉君のダンスシーンをかなり減らしたぶん、相葉君が踊りだすと起こった客席のザワつきもなくなったので、ストーリーに集中しやすくなったように感じました。それは単に私が2度目の鑑賞で、構成や劇場環境に慣れただけなのかもしれませんが・・・。

さすがに連続で何度も鑑賞させていただくと、それぞれのシーンやセリフが、いろんなものの伏線になっていることがわかってきたので、各シーンを入れた意図は理解できた部分もあったのですが、舞台は生物。本や映像のようにページを遡ったり巻き戻して確認するということができる部類の芸術ではありません。いくら凝った伏線を敷いていても、やはり1度の鑑賞で伝わらないような脚本では意味がないと思います。よっぽどのヲタクは何度も見るかもしれないけれど、一般的には1作品1回の鑑賞が普通。それこそ、これだけチケットが取り辛い舞台だと、なおのこと、1度の鑑賞で伝えきれないような脚本は失敗だと思います。そして、幸か不幸か連続で何度も鑑賞させていただいたことにより、脚本やセリフの穴と矛盾もハッキリと見えてきてしまい、どうにもこうにも今回の脚本の完成度に関しては、私は最後まで満足できませんでした。

特に許せなかったのが、コリンが涙ながらにファーガスに罪を告白する場面。コリンが「親友」とまで呼ぶファーガスにも、最後の最後まで頑なに語らなかった自分の犯した罪。ファーガスが、いよいよ余命わずかとなった段階で、コリンはファーガスに促され、涙ながらに告白するけれど、この舞台の構成(=脚本)だと、実は、それ以前の段階で既にプリムローズは『コリンが殺人を犯した』ことを知っていることになる。コリンがファーガスに罪を告白する前に、既にプリムローズは、母ジョージナとの会話で「コリンは何故刑務所にいれられたの?」「殺人よ」というやり取りをしており、しかも驚く母ジョージナに「お母様、あれは事故だったのよ!」と言っている。「あれは事故だ」とプリムローズの台詞で語らせてしまっていることで、プリムローズが殺人に至った経緯までを知っていることが明白になってしまっている。親友ファーガスには、促されるまで話せなかったコリンが、恋人プリムローズには、既に話しているという、まず、そのカミングアウトの順番にモヤモヤ。コリンは、プリムローズにも、床に膝をつき、涙ながらにカミングアウトしたのだろうか?まさかピロートークで、うっかりポロリなんてわけではあるまいな。(苦笑) 

そして、そんな親友にすら明かさなかった自分の過去を打ち明けるほどの相手がプリムローズだとすれば、二人の間に「愛」がないわけはないだろう。舞台でのコリンとプリムローズの恋心の描かれ方は、唐突にも思えるほど非常にアッサリしたものだったので、これも不満な点の一つなのだが、とにかく、自分の過去を打ち明けるほど心を許して愛していたプリムローズよりも、コリンはガーデニング(&刑務所の仲間たち)を選び、黄色いバラを渡して「恋の終わり」を告げる。その際の別れの手紙でコリンは「愛をこめて」と、わざわざ「愛」という言葉を使って締め括っている。 なのに、その後の場面で、コリンはファーガスに涙ながらに「僕は誰かを愛せるんだろうか?」というセリフを問いかける。 既にプリムローズを愛し、自分の秘密まで打ち明けて、そして、その愛を終わらせているのに、なぜ「僕は誰かを愛せるんだろうか?」などという、前後の流れから矛盾した陳腐な台詞をコリンに涙ながらにここで言わせたのだろう? コリンが愛せなかったのは、誰か(他人)ではなくて自分、もっというなら自分の「人生」。自分で自分を愛せないのだから、他人に愛される資格もないと思っているという解釈ならわかる。でも、その解釈なら「誰かを愛せるだろうか?」では、やはりおかしい。 「僕は自分の人生を愛せるんだろうか?」とか「僕は誰かに愛される資格があるだろうか?」というセリフにならないと「誰かを愛せるだろうか?」なんて言われたら「君は、自分の過去を打ち明けるほどにプリムローズを愛していたんじゃないのか?」とツッコミたくなる。感情を高め、涙をポロポロ流す相葉君の演技を見れるのは確かにファンとしては魅力的ではある。でも、そういう相葉君を見せるための商業的演出が、物語の整合性を崩し、作品自体を陳腐なものにしてしまっていることが、非常に残念。このシーンでの相葉君と平さんの熱演は心を打つステキなものでしたが、ここの「愛」についてのセリフで、このシーンを用意した演出家の商業的意図が見えて、非常に白けた気分になったので、個人的には、このシーンが一番嫌い。 ちなみに映画では、コリンが涙ながらにファーガスに罪を告白するなどという陳腐なシーンはありません。ファーガスに友情と信頼を感じた時点で、コリンが自発的に静かに告白するのみだったと記憶しています。コリンが感じている自らの罪の意識の重さを伝えるのなら、私は、仮釈放の面接のシーンだけで十分だと感じました。

セリフに関しては、1幕の冒頭で「伏線」として何度か繰り返し出てくる「チャンス」という言葉にもモヤモヤ。「こんなところにチャンスなんてあるわけない!」というコリンが繰り返すセリフ。英語の「chance」という単語は奥の深い単語で、いわゆる日本語で言う「チャンス(好機)」の意味の他に、「可能性」とか「めぐりあわせ」、「出会い」という複数の意味があります。実際、コリンは、刑務所の中で、あるわけないと思っていた「可能性」を見つけ、「(信頼できる仲間たちと)めぐりあい」、「(親友や愛する人やガーデニングの師匠との)出会い」を見つけるわけだから、この作品で何度も登場する「チャンス」という言葉は、いわゆる日本語になっている(カタカナで表記する)「チャンス(=好機)」という意味ではなくて、英語でいう「chance」の「可能性」とか「めぐりあわせ」というニュアンスのほうだと思われる。 しかし、これを「チャンス」とカタカナのセリフにしちゃったら、見ている人の大半は日本語英語の「好機」の意味でとらえてしまうだろう。この物語は、「好機」を捕えた物語ではなくて、あるわけないと思っていた「可能性」を見つけた物語だったからこそ感動的なわけで、翻訳者の方は、その「chance」という英単語の持つ複数の意味の奥深さを含めてそのまま「チャンス」という単語として残したのかもしれないけれど、英語に馴染みのない我々日本人にしたら、「チャンス」とカタカナ英語(日本語英語)にされちゃうと、「チャンス」=「好機」と理解してしまうし(実際、初見では、私自身もここのセリフを「好機」という意味で受け止めた)、そうなると、せっかくそこに含ませた言葉の意味が伝わりにくい気がする。なぜ最も適した訳語の「可能性」という日本語を使わなかったのか。「チャンス」を「可能性」と言う言葉に置き換えてあったのは、ダブルバイオレットが咲いた場面の最後の最後、ファーガスが口にするセリフの中でたったの1回だけ。でもそのファーガスの発した「可能性」という単語が一番心に響いた。翻訳って難しいけれど、あの「チャンス」は全部「可能性」という日本語に変えておいてくれれば、もっとセリフがスーっと心に入ってくる気がして残念に思いました。

あと、「チャンス」つながりで気になったのが、コリンが種を撒いたあとにつぶやく「こんなちっちゃい種に、でっかいチャンスなんてあるわけない!」というセリフ。なぜ、「でっかい」なんていう蛇足な形容詞を付け加えたんだろう?ファーガスは、「わずかな可能性」を捨てないことの大切さを説いていたはず。「でっかいチャンスを狙え」と説いていたわけではない。「種」と「チャンス」とを対比させ、双方を際立たせるためだとしても、「でっかい」という形容詞には違和感。

あと、ファーガスが3人の妻を殺した後、まともになった理由が「逮捕後にクリスチャンになったから」というのも映画と違うのでモヤモヤ。まともになった理由がキリスト教のおかげだったのなら、ファーガスはコリンに花の種ではなくて聖書でもプレゼントして、ガーデニングではなくキリスト教を教えればいいのにと思うし、枕元の愛読書はディケンズの「オリバー・ツイスト(←逆境から可能性をみつけて幸せになった男の子のお話)」ではなく、聖書にすればいいと思ったり・・・。

この作品には、「信頼」「友情」「思いやり」「愛情」「逆境からの復活」「贖罪」「諦めないことの大切さ」「夢を持つこと、そしてそれを叶えることのすばらしさ」等、いろんな要素が詰まっているけれど、その中でも今回の演出は、「贖罪」というものに大きいウエイトを与えているように感じました。 もともとファーガスの役にコワモテで重厚な演技をなさる平さん(=前科者といわれれば、演じる前から、それなりの説得力のある方)をキャスティングしているあたりも、コリンにあそこまで涙ながらに過去の罪を自白させる演出も、「罪の意識」なり「贖罪」なりの部分を演出することにウエイトを置いてのことなのかなと。 (近親者の)命を奪った人間が、(植物の)命を育てることで、命の大切さと、自分の罪に向き合う。奪ってしまった命は取り戻せないけれど、別の命をいたわり、思いやることで自分の罪と正面から向き合う。もちろん、そこは、コリンとファーガス2人の男の人生においても、物語上も、非常に重要な核の部分ではあるけれど、そこを商業的目線で大きく煽りすぎている気もする。下手に哲学やドラマを詰め込んで、いろんなものを詰め込みすぎたことで、逆にその作為的な部分が鼻につくというか、矛盾点に引っかかってスッキリできなくなっているというか、本来この物語が持っていた素朴で心温まる作品の醍醐味みたいなものが目立たなくなっている気がしてモヤモヤする。 結局のところ、本来、この物語は、実話なだけに、もっと単純でシンプルなもので、もともとの映画版で使われていた素材だけでも十分感動を伝えられるのでは?と思うのだ。ファーガスが語部となって客席に伝えるメッセージ「小さい可能性を捨てるべからず」「逆境こそ味方」「戦う前から諦めるな」という数々の言葉だとか、世代や立場や階級や偏見を超えた「友情」や「信頼」の描き方は、万人の心に響くステキなもの。それだけに、それ以外の無理矢理挿入したような「愛」だの「宗教」だのという作為臭い説教めいた台詞や、お涙ちょうだい的なあざとい演出や、強められているキリスト教色が蛇足以外の何物にも見えなくて不満。それが商業演劇だと言われてしまえば、それまでだけれど、それならば、最低限でも、矛盾点は作らないで欲しい。台詞や登場人物の行動のツジツマは合わせておいてもらいたい。

とはいえ、上記のような脚本の矛盾点や構成や細かいセリフ等への不満があっても、それでも、この作品を見終わった後は、幸せな気分になれた。何度見ても楽しかったし、見れば必ず幸せな気分が増した。それは主演が大好きな相葉君だったからということももちろんあるが、オリジナルの「グリーンフィンガーズ」という物語自体がもともと持っている魅力によるところが大きい。そしてチャーミングで魅力的な役者さんたちの存在感も。とりわけ田島さんのチャーミングなコメディエンヌっぷりは、本当に毎回会場を沸かせ、舞台に登場してきただけで場が明るくなるほど。私自身も毎回クスクスと笑わせてもらった。平さんは、さすが大御所と言わんばかりの絶大なる説得力でコリンだけでなく客席にメッセージを語りかけてくる。作品の哲学的部分すべてを担うファーガスを演じた人が平さんだったことは、本当にこの舞台の完成度を高めてくれていると感じました。脇を固める所長さん役の石田さんの存在感も温かくて大きい。そして囚人の方々や看守さんはそれぞれに個性的で、チャーミングで、女性陣も華やか。音楽隊の皆さんの演奏のすばらしさはいわずもがな、演奏をしていないときの音楽隊の皆さんが、とても温かい表情で舞台上を見つめていたり、小さく演技で参加しており(ハンプトンコートの賞を逃したときに、音楽隊もガッカリした表情を作ったりしていた)、そんな魅力的な出演者たちに囲まれた相葉君の演技も周囲の方々にさらにグイグイと引き上げてもらえている感じがして(※相葉君の演技については、先日語ったので省略します。)、そんなカンパニーが描く3時間を眺めているのは、本当に至福の時間でした。それだけに、脚本がもう少しキチンとしていてほしかったけれど、あの温かいオーラにつつまれていた会場は、見る人を幸せな気分にする力に充ちていたので、見終わった後には、先日語った「がっかりしないといけない?」という清々しい気分(※参照記事こちら)になりました。

あと、複数公演みたからこそ気付いたこと。まずは、伏線として出てくる「ハイビスカス」。「ハイビスカス」の花言葉は「信頼」。コリンが収監された日、所長室での所長が「信頼」という言葉を口にしたとたんに、コリンは露骨に眉をひそめる。もっとも「信頼」していた弟に裏切られた過去を持つコリンにとって「信頼」なんて言葉は信じるに値しないものだと思っていることが、ここでわかる。そして、ファーガスと同室となり、ファーガスの留守中にハイビスカス(花言葉は「信頼」)に水をやって育てる。二人の部屋でじわじわと育まれたハイビスカス(信頼)は、コリンが出所する際にファーガスの手から、コリンに渡され、そしてコリンが戻ってきたら、またファーガスの元へ。コリンとファーガスの間でハイビスカス(信頼)が行き来することで、二人の間に「信頼」築かれていることを花言葉を伏線に使って表現してありました。あと、途中、オズルワースハウスの盗難事件の際に所長が「信頼という花言葉を持つ花は何だったっけな?」と意味深な言葉を発したまま場面が変わっておりましたが、その答えも、「ハイビスカス」です。

あと、クリスマスパーティーの部分で、いきなり椅子を叩くコリンの行動。あれも初見では、なぜコリンが急に椅子を叩いたのか理解できていなかったのだけれど、あれは、ロジャーの配下にいた囚人(兄)を訪ねてきたオックスフォード大学生の弟が、兄弟仲むつまじそうに自己紹介している姿を見て、弟のいない(=弟を殺した)コリンがやるせない思いをぶつけていたんだということに2回目で気付きました。初見だと、あの段階では、コリンが弟を殺したということは観客には知らされていないから、気付かないよね・・・。小さいところで、いろいろ作りこんでいるんだなーなんて思いました。このあたりのつながりや相葉君の小さな芝居は、初見1回では、なかなか気付けない。何回か見て、ああ、そうかと納得した次第。役柄に入り込んで小さくブツブツつぶやいていたり、結構、いろんなところで細かく役を作りこんで入り込んでいる相葉君の姿を見るにつけ、それに気付けた自分に嬉しくなりました。

あと、幸運だったのは、大阪初日のカーテンコールの後のトークで、相葉君の一番好きなシーンや、山田さんの一番好きなシーンを教えてもらった後に再鑑賞できたこと。あの回以後、相葉君の一番好きなシーン(ファーガスの骨を撒くところ)や、山田さんの一番好きなシーン(プリムローズが苗を分けるところ)は、それまで以上にじっくりと味わって見るようになったから。あと、毎回、じっくり観察してたシーンは、枝を分ける作業にプリムローズを誘う際、躊躇するプリムローズを「いいから、こっちに来て!」と誘うコリンの表情。相葉君の色気が透けて見えたコリンの表情がツボにハマって、毎回ガン見。(笑)マユゲと視線で誘うコリンの巧みなプレイボーイっぷりに、毎回ニヤニヤしてしまった。(笑)

それにしても、舞台というものは生物だなーと改めてしみじみ。同じ演目、同じ台詞なのに、笑いが起こる場所というのが、回によって全く違っていたりもする。もちろん必ず毎回会場が沸く場面もありましたが、日々違った顔を見せてくれるのが舞台の魅力。相葉君も大阪初日のカーテンコールで言っておりましたが、微妙にチョコチョコと演技を変えてきたりするので、それこそ日ごとに回ごとに違った顔を見せてくれた。それは相葉君だけでなく他の役者さんたちも。だからこの場面はこの日が一番好きとか、このシーンは別の日の演技が好きだったとか、毎日毎回どの公演にも、何かしらベストなものがあり、何かしらの発見があって、そんな変化や発見を感じれるほどの回数を鑑賞できたことに本当に心から感謝です。相葉君の挨拶の言葉じゃないけれど、「ほんっとーうにステキな方々と一緒に」この舞台を見守れたこと、始まる前に一緒に緊張し、終わったあとに一緒に内容について語り合えたことに、感謝の気持ちと嬉しさで、今さらですが胸がいっぱいの状態です。思い出すだけで涙が出そうなほど幸せな時間を与えてくれた皆さん、本当にありがとう。そしてアイバゴトに強欲な私を見捨てずに協力してくれたお友達。本当に、ほんっとーうにありがとう。

というわけで、ぜひオリジナル映画も見てください。

B00005NO7Rグリーンフィンガーズ [DVD]
ジョエル・ハーシュマン
メディアファクトリー 2001-10-05

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「アマツカゼ」千秋楽無事に終了

大野舞台「アマツカゼ」千秋楽が本日無事に終了。ワタクシも、大阪NHKホールにて観劇してまいりました。当初、大親友のCちゃん(大野ヲタ)と二人で、Cちゃんが引き当てた大野舞台の千秋楽チケットで千秋楽参加予定だったワタクシですが、実は今月に入ってからCちゃんの身辺で予想外の出来事が勃発し、結果的にCちゃんは、自分で当てた千秋楽に行けなくなってしまったという不幸。もともとCちゃんは、諸事情により大阪公演1回のみの参加予定で、その1回を千秋楽に的を絞って予定を組んでいたのですが、その気持ちを察してか、千秋楽が無事当選、しかもすこぶる良席のチケットが届き大喜びしていたのです。それが行けなくなってしまうなんて・・・。あまりにも気の毒すぎるCちゃんのために、なんとか同等席で別日のチケットを探し、Cちゃんは千秋楽は無理ながらも別日で鑑賞予定だったのです。が、これまた直前、それこそ、緊急事態が勃発し、当日の朝に連絡を受け、急遽朝から、私がCちゃんの家(神戸)までチケットを取りにいき、そのままNHKホールへ駆け込んで、代理で見てきたという・・・。私は、千秋楽1回を見せていただけるのであれば、それだけで十分身に余る光栄状態だったのに、結局複数回見ることになり、最も見て欲しかった大野ヲタのCちゃんが1回も見れなかったなんて・・・。ああ、無情。

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プーシリーズ Episode1『アマツカゼ―天つ風―』
作・演出=きだつよし
【キャスト】 
きだつよし(風神・虱)
大野智(凪)
芦名星(りん)
松本まりか(陽炎)
佐藤アツヒロ(山城不動)
西ノ園達大
武田義晴
ほか
【東京公演】2008.3/21(金)~4/7(月) 青山劇場
【大阪公演】2008.4/24(木)~28(月) NHK大阪ホール



そんな背景があったので、1回目の鑑賞時には、幕が開いた瞬間、大野君が視界に入った瞬間から、Cちゃんを思うとせつなさいっぱいで、涙止まらず。しかも、舞台での大野君があまりにも素晴らしく、かっこよく、それを目の当たりにするたびに、なんで私がこんなにステキな大野君を見れて、Cちゃんが見れないんだと思えば思うほど、罪悪感とやるせなさで、また涙腺が・・・。というわけで、ひたすら涙を流しながらみた大野舞台。たぶん近くの席の人からは、かなり痛い熱血大野ヲタだと思われてたはず。(苦笑) とにかく、大野君がステキすぎて、その才能にすごく感動しました。それだけに、Cちゃんに見せてあげれなかったことが重ね重ね残念。どうかCちゃんのためにもDVD化されますようにと祈るばかり。Jストさん、よろしく!

ま、そんな諸事情があったものの、Cちゃんも、千秋楽前には、すっかり諦め、割り切って、ショックから立ち直って元気そうだったので、私も少しホっとしながら、なんとか千秋楽も見せていただいたのですが、複数回みても、飽きなかった。だって舞台の大野君が、本当にカッコイイんだもの。ただ、ひたすら、大野君の才能に感動し、カッコよさに惚れ惚れしっぱし。やはりこの人は、ステージの人だね。テレビなんかとは比べ物にならないぐらい、舞台上でのカッコよさはハンパない。

お芝居「アマツカゼ」の内容に関してですが、面白かったです。内容に奥深さはないけれど、スピーディーで、テンポよく、そしてわかりやすくて派手。ザッツ・エンターテイメント!といった感じのお芝居。素直に面白いと思いました。いわゆる「きだつよし節」は炸裂ではありましたが、意外にも全く嫌悪感はそれほど感じませんでした。というのも、やはり、舞台上での大野君の存在感と演技がとてつもなく魅力的&感動的だったので。ワタクシ、相葉ヲタではありますが、この先も絶対に大野君のお芝居だけは見逃したくないと思いました。だって、もう舞台俳優として、文句のつけどころがないんだもの。安心してみていられるし、それより何より、すばらしく魅力的なんだもの。

今回の演目では、大野君は、客席に背中を向けている場面が多かったのですが、その背中で、いろんな感情をちゃんと伝えられておりました。あと眼球の輝きや曇りかた、濁り方。これだけで、そのとき、そのときの感情が手に取るように伝わってくる。そしてセリフ回し。あんなに普段カミカミなのに、全く噛まないどころか流暢なセリフ回し。後半は涙をポロポロ流しながらも、ちゃんとセリフはキッチリと客席に伝えきる。とくに、きださんの演出の特徴なのかもしれないけれど(「テンセイクンプー」でも使われていたので)大野君に感情を吐露させたり、うちひしがれて落ち込ませたりするときに、必ず舞台中央で膝をつかせるのですが、あの演出は最高。あの状態の大野君は絶品。天下一品。客席へ訴えかける効果絶大。そして何より立ち姿が美しい。普段、あんなに猫背でおじいちゃんみたいに覇気のない立ち姿&歩き方なのに、ステージに立つと、別人のごとく姿勢が良くなって動きにキレがある。舞台栄えする仕草の美しさといい、本当にこの人はステージの人。いやはや、お見事。

他の共演者も全く期待してなかったので、思った以上で、とても安心してみていられました。松本まりかさんは、あのアニメの声優みたいな声に最初ちょっと抵抗を感じたものの、発声はキレイで声が通るし、熱演ぶりには、自然と感情移入されてしまえるし、凪を送り出す別れの場面の健気さや一途さなんて、会場の大野ヲタの心境をすべて代弁してくれるので、私ですら思わずホロリとさせられるほど。芦名星さんも、初舞台にしては、合格点ではないですかね。やはり立ち姿が美しいというだけでも、かなりのもの。ネタバレになるから多くはいえないけれど、多少、あざとさが見える後半の演技も、私は許容範囲でした。あと、佐藤アツヒロさんは、舞台を場数こなしているだけあって、コメディ部分の間の取り方も含め、憎たらしい悪役が非常に似合っていました。演技面で不満はないのですが、ただ、実年齢は大野君と差があれど、舞台に立つと二人とも小柄だし、大きな年齢差が見えないので、凪を上から押さえつける不動の威圧感だとか、厘を無理やり奪ったという雰囲気等、もっと年配の役者さんのほうが役柄の悪印象をもっと高めて凪の逆境をアピールできる気も・・・。きだつよし氏の役は、まさに「センゴクプー」の風助そのものですね。虱の生き方、ポリシーは、まさに風助。そして、それが、凪に継承されて、凪から風助へ(凪=風助という解釈でいいのでしょう。)という展開は、「センゴクプー」を知っていればいるだけ、楽しめるようなエンディングでした。その展開はなかなか面白いと思いました。が、裏を返せば、結局、きださんが言いたいことは、すべて「センゴクプー」の風助の哲学に凝縮されており、それを、どの舞台でも繰り返し繰り返し主張しつづけている(要するにワンパターン)ともいえなくもありません。今回は、まさに虱を演じたきださん本人が、その哲学を語る役どころゆえ、彼にとっては、まさにマスターベーション的ともいえる舞台であるともいえなくはない。それを不快に思う人も多いのかもしれませんが、私はありだと思っています。一番それを伝えることを望む人が演じることは、決してマイナスではないと思います。演技力さえあるのなら。きださんの演技力、東京公演ではどうだったのか知りませんが、私自身は全く不満はありませんし、そういうことを総合して、今回の舞台には大きな不満はありません。毎回恒例の内輪ウケなネタ(粘土、釣り、フリースタイル云々)は、なければ、もっといいのに・・・と心にひっかかるモヤモヤはなきにしもあらずでしたが、今回は素直に笑ってしまった安い嵐ヲタゆえ、堂々と文句も言えません。フリースタイル体勢で宙を飛ぶ大野君は面白カッコよかったし・・・。個人的には武田義晴さんの演じた役のボケっぷりが面白くてお気に入り。

千秋楽のカーテンコールの様子を報告しますと、まず「センゴクプー」の予告編という余興がありました。ちょうど、先日映像で予習していたので(※参照日記こちら)、ものすごくラッキー。宣教師ヌゥベンちゃんも登場してワクワク。女性陣は、松本まりかさんが、あのブサイクな忍を、芦名星さんが雪那様を演じて出てきたのだけれど、この芦名星さんが、ものすごく似合ってた、っていうか、本編「アマツカゼ」よりも上手かったという。(笑)そして、大野君の風助!でもなぜか貫禄が倍増してる風助!その状態で、「センゴクプー」でもやっていたと言う祭りの場面の「WOW」を1曲披露。このあたりは、もうジャニーズ舞台の色が満載で複雑といえば複雑でしたが、こんな距離で歌って踊る大野君を見る機会ってドームが常になってしまえば、もうないかもしれないしなーと思えば、安いヲタゆえ嬉しくなってしまうという。(苦笑)あと、共演者たちがその歌の場面も楽しそうだったので、それもホッコりして、もう一緒に楽しんじゃえみたいな気分になりました。

そんな余興で盛り上がったせいか、今回、智坊ちゃんは、一度幕が下がる瞬間にウルっときた涙も引っ込んだ感じだったので「今回は、さすがに泣かないだろうね。泣き虫智君は卒業かな?」と友人と言っていたら、2度目のカーテンコールからボロ泣き。途中からは、しゃがみこんで立ち上がれないぐらいの号泣。顔を手で覆って隠して涙しながら「ダメですね。感情ってのは止められないもんですね。」と言い訳しながら泣く智坊ちゃん。本人曰く、「個展があって忙しくて、その余韻にひたる余裕もないまま舞台稽古が始まって、東京公演が終わった後、大阪公演までに少し時間が空いて、ドームのコンサートリハーサルが始まって、それでも気持ちは舞台のことで頭がいっぱいで、ぜんぜん振り付けが覚えられなくて・・・」と要するに、精神的にいろいろイッパイイッパイで苦しかった様子。それを乗り越えての千秋楽だったので、感極まったのだそう。しゃがみこんでボロ泣きした後、目に涙をいっぱい溜めて語る坊ちゃんが、本気でめちゃくちゃカワイイ。舞台本編の泣き方と、また全然違う、ほんわかと母性本能を刺激するような泣き方のギャップ、そこにも舞台と素の大野君のギャップが見え、本気で ハートを射抜かれそうになりました。大野ヲタさんたちの気持ちが、本気でわかったこの千秋楽。みんなが入りたがるのも無理はない。私ごときが見てしまって、すみません。まあCちゃんの代理ということで、大目に見てください。

あと、松本まりかさんの挨拶がめちゃくちゃ可愛かった。泣きながら「このカンパニーの皆が本当に優しくて居心地よい雰囲気だったと大野さんがおっしゃいましたが、それは、大野さんが優しかったおかげですよ~。」といって大野君を褒め称え、大野君の顔をみながら泣き崩れたのが、もう、めちゃくちゃ可愛くて。それを見てウルウルしてる大野君が、これまた人柄を反映していて超可愛くて。もう、二人の泣きに完全もらい泣き状態でした。たぶん、会場の大野ヲタさん皆、松本まりかさんの好感度2割増しになったはず。(笑)

こんな状態だったので、すっかり、脳内、サトシック状態、「現在智に浮気しそう。ごめんね雅紀。」なんてネタにしながら、お友達と電車に乗ろうとしたら、車両のドアが開いた瞬間、「浮気しちゃ、ダメだよー!」って言いに来たの?って問いかけたくなるような絶妙なタイミングで目の前にAUの相葉ポスター。(笑)一緒にいた友人も「すごいタイミングでJOLLYちゃんの心を取り戻しにやってきたよ」と。(笑)「はいはい。おしばいは下手でも、キミが大好きだよー」と電車移動の間中ポスターを眺めては心の中で語りかけてやりました。(笑)それにしても、本当に、こういうときの相葉君のタイミングの良さには、やっぱり運命感じるわー。(←やっぱりあいばか)

鑑賞後は、智君の残り香を届けにCちゃん宅へ直行。パンフレットを渡し、本日の智君の舞台の様子や千秋楽の泣きの様子を実演つきで報告。(笑)ワインを空けて、語り合って無事帰宅。これで、私の「アマツカゼ」ミッションは完全終了。しかし、本当に大野君、素晴らしかったです。(惚)

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「テンセイクンプー(転世薫風)」DVD

先日発売された大野智主演舞台「テンセイクンプー(転世薫風)」のDVDを鑑賞。

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まずはDISC1(本編)の感想。まず映像のクリアさと、カメラワークの良さに満足。舞台は生に限る!という人も多いのでしょうが、私は、空間を他人と共有するのがあまり得意ではないので(とくに鑑賞マナーの悪い客層だと、どうしても気が散る)、一人でじっくりと誰にも邪魔されることなくその世界に入り込めるという点では、映像のほうが気楽に見れたような気がしました。もちろん迫力や感動は、生舞台に敵うものなしだとは思いますが、誰にも邪魔されない鑑賞という点では、一人でDVDを見るというのもなかなか乙なのものです。そういう意味で映像化はありがたい。声は、マイクで拾っているのかな?出演者たちのセリフも非常にクリアに聞こえました。

さて、「テンセイクンプー(転世薫風)」という作品ですが、これは、「センゴクプー」「バクマツバンプー」に次ぐ、きだつよし脚本のプーシリーズ第三弾だそう。過去のプーシリーズは「センゴクプー」の初演版を映像で見たのみなので、プーシリーズを語れるほどの知識も経験もないのだけれど、今回の作品の中にも過去のプーシリーズへのオマージュ的な引用シーンが挿入してありました。「センゴクプー」は先日見たばかりなので(※参照記事こちら)、ああ、この場面かーと気がつきましたが、「センゴクプー」に登場する宣教師ヌゥベンの雰囲気が先日見た映像と微妙に違っていたのがガッカリ。初演の彼の宣教師ヌゥベンが好きだったのに・・・。「バクマツバンプー(幕末蛮風)」の場面もありました。最初が、そこから始まったので、一瞬、これって「バクマツ~」のDVDだったっけ?と勘違いした大野舞台初心者の私。

この「テンセイクンプー(転世薫風)」のストーリーは、タイムスリップ物で、現代の青年が徳川時代にタイムスリップし、大阪の陣で破れた真田軍の残党たちと行動を共にするという物語。タイムスリップ物の王道みたいなストーリーで、非常にストレートでわかりやすい子供が喜びそうなお話。ただ陳腐といえば陳腐だし、安っぽいといえば安っぽい。とはいえ、舞台演劇嫌いの私ですが拒否反応は出なかったし退屈もしませんでした。それは、演じる役者さんたちの演技が好みだったことが大きい。みんなそれぞれにチャーミングでステキだったし、鼻につくような芝居をする人がいなかったから、見ていて素直に楽しめました。何より大野君がめちゃくちゃステキだったしね。(結局、これが一番大きい。) 

ただ、あのジャニジャニした演出は、どうにかならないんでしょうか?客席に媚びるように、無理矢理挿入されたような「嵐」をネタにした笑い。そこで「Aの嵐」のポーズをする&させる理由が理解できないし、「大宮」だの「MA」だのとジャニヲタをターゲットにしたような内輪的な笑いを無理矢理挿入しているあたりが、たまらなく見苦しくて嫌。あれが作品をさらに安っぽくしていることに気づいて欲しい。しかも、そういう狙いきった笑いの場面が全然面白くないというのが寒い。あと、途中、大野君演じる薫が客席を横断するシーンがあるでしょ?あれって必要?あっても悪くないけれど、あそこで奇声を上げたり、走り抜ける大野君を触ろうとして身を乗り出したりしている痛いヲタが映りこんでいるのが、究極に見苦しくてキツイ。演劇がコンサートではないことがわからない客があんなにいるなんて、げんなり。そこで大野君に触ろうとする行為は、舞台進行の邪魔をしているという迷惑行為に他ならないことに気づいて欲しい。映りこんでる方、多いに反省していただきたいところ。

それにしても舞台で演じている大野君を、私はこのDVDで始めて見たのだけれど、想像していた以上にステキでした。この人、やはり舞台(ステージ)の人だね。コンサートでも常々感じていることだけれど、舞台(ステージ)に立ったときに放つオーラがテレビとは圧倒的に違う。姿勢から根本的に違うから、立ち姿だとか、動きだとか、全てが全然違う。舞台上で演じている役柄に普段の大野君の素の部分を投影したりする隙を与えない。発声ひとつにしても全然違う。普段は、ボソボソっと喋って「え?今、何って言ったの?」と聞き返したくなったり、カミカミなこともしばしばな人なのに、舞台だと早口の長台詞も流暢で滑舌もよい。大野君って、普段、あまり感情を表に出さないタイプの人というイメージだけれど、舞台だと感情を全身から発散させて、感情の込め方も鬼気迫るような熱演系。まさにスパーク系の芝居をなさる人なんだけれど、でもオーバーアクトだとは感じさせない、ほどよい熱演。たぶんテレビドラマや映画で、この感情表現を見せられたら、オーバーアクトでドン引きしてしまいそうだけれど、舞台演劇においては、これぐらいがちょうどいいように感じる。また劇場で見ると感じるところも違うのかもしれないけれど、こういう点も舞台向きだなーと改めて感じたり。あと、舞台上で見せる、ふとした仕草や立ち振る舞いが本当に綺麗。コンサートで踊っているときにも常々感じるのだけれど、本人が意識しているのかしていないのか、指を差すとか、手や腕を動かすときの指先にいたるまでの角度や動きが無駄のない理想的な美しい角度なのね。そのせいで、動き一つが、ものすごく舞台栄えする。これって大野君の場合、努力の上に成り立っているテクニックというよりも、天性の才能に近い気がする。努力でできる人もいるけれど、こういうのがサラリとできてしまうのは、才能なんじゃないかな。

「センゴクプー」と「テンセイクンプー」の2つを見て感じたのは、結局、きだつよしという人は、こういう侍チャンバラ物が大好きなんだなということ。そして、どちらの作品も根底にあるのは武力否定の平和主張。嵐ヲタや大野ヲタさんたちの間で「きだ舞台」と言われているものが、なんとなくわかった気がする。基本となる柱が「侍物」「チャンバラ」「武力否定」。だから、毎回毎回、大野舞台が「きだ作品」だとワンパターンだと嘆く人が多いんだろうね。この映像で見る限りでは、大野君には舞台役者としての才能があると感じたので、それだけに、一つの枠にとらわれず、いろんな可能性を見せて欲しいと願う大野ファンの気持ちがよくわかりました。

ところで、この「テンセイクンプー(転世薫風)」のDVDの初回限定版と通常版との価格差は600円。この600の差は、個展「FREESTYLE」のメイキング映像が入っている特典ディスクがあるかないか。いくら大野つながりだからって、本編と全く関係ないとも言える個展映像を、このオマケとしてつけちゃうあたり、J-STORMって会社は商売下手というか無茶なことするな。まあ、オマケにせねばならない(単品で市販化できない)大人の事情があるからなのでしょうが・・・。でも、この特典ディスク、600円以上の価値がある。ぶちゃけ、私にとっては、本編以上に楽しめた映像。大野ファンであろうとなかろうと、嵐が好きな人、大野君に好意を抱くレベルであれば、600円を惜しむ理由はないかと思います。絶対に初回限定版を買うべし!目をキラキラかがやかせて自分の個展に臨む姿は、ハンパなくステキでしたよ。この映像だけで相葉ヲタの私でも5000円出しても惜しくないと思ってしまいました。J-STORMよ、オマケにつけてくれてありがとう。

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TEAM 発砲・B・ZIN 『センゴクプー』

去年だったか、一昨年だったか、劇団「TEAM発砲・B・ZIN」が15周年を迎えて解散した記念に、CSのシアターテレビジョンでTEAM発砲・B・ZINの舞台が放映されておりまして『センゴクプー』も放映作品リストにあがっており、そういえば「センゴクプー」って智坊ちゃんが演じた作品だ!一体どんな作品なんだろう?という興味からDVDに録画しておりまして、いつか見ようと思っていたものの、もともと舞台演劇が苦手な体質ゆえ、結局そのまま放置して今に至っていたのですが、いよいよ今月末に大野舞台を鑑賞するということで、作・演出:きだつよしの舞台とは、一体どんな物なのかを予習すべく、今更ですがDVDを引っ張り出して鑑賞。

TEAM 発砲・B・ZIN『センゴクプー』
収録:2001年1月20日  下北沢 本多劇場
作・演出:きだつよし
出演:平野くんじ(現・平野勲人)、工藤順矢(現・工藤潤矢)、小林愛、武藤陶子(現・武藤晃子)、西ノ園達大、森貞文則、田口治、きだつよし、小山剛志 他


智坊ちゃんは、過去に「作・演出:きだつよし」の舞台を3つ経験しており、今度の「アマツカゼ」が4作目。すべてプー(風)シリーズというシリーズになっているようで「センゴクプー」「バクマツパンプー(幕末蛮風)」「テンセイクンプー(転世薫風)」そして、今度のが第四弾「アマツカゼ」なんだそう。巷では、今度の「アマツカゼ」を見るに当たり、「センゴクプー」を見ていたほうがより深く楽しめるという噂もあったりしたので、よけいに重い腰をあげてみることに。というわけで、私が見たのは、智坊ちゃんが主演した2003年の再演版ではなくて、「TEAM発砲・B・ZIN」による初演版(風助=きだ氏)だったものの、再演時のキャスト(風助=大野)だったらどんな風だったのかな?と想像しながら鑑賞いたしました。

さて、TEAM 発砲・B・ZINという劇団は“大の大人が笑って泣けるヒーローもの”を掲げた劇団だそうで、そこの一番人気演目がこの「センゴクプー」という作品なんだそう。CSの番組プログラムによると「“弁は剣よりも強し”をモットーに、得意の話術と洞察力で戦国の世を渡り歩くはぐれ侍・風助の活躍を描くチャンバラコメディ」とのことでしたが、まさにチャンバラ中心のドタバタ喜劇でした。

きだつよしという人の作品は、基本的にそういう路線だということは予備知識としてある程度認識しておりましたが、改めて作品を見て、ああ、やっぱりこういう感じなんだーと改めてテイストを理解しました。私自身、得意か苦手かというと、確実に苦手なタイプの舞台。っていうか、舞台演劇で得意なテイストってのがほとんどないので、これだけが特別苦手なわけでもないんだけれど、とりあえず何が苦手って、狙いに狙っている笑いがあざとくて苦手。しかも、その笑いのツボが全くといっていいほど私のツボにハマらなかったことが一番苦痛だったかも。笑わせようとして挿入されているセリフや芝居や演出が全然面白いと感じなかったのよね・・・。唯一、面白い!と思ったのは、宣教師ヌゥベン。独特のボケた演技や、間のとり方。いいわー、彼。彼の雰囲気や芝居や笑いは、ものすごくツボにハマりました。

主人公は風助という戦国時代でありながら剣をもたない主義の主人公。剣を持たないというので、素手で戦う人間を思い描いていたら、剣より弁が達つ=すべて言葉と口先で解決してしまう、いわば武力解決全否定主義のピースな人間。口が達つということは、ひたすら喋るわけで、こういう口先男みたいなキャラは、テレビでも映画でも舞台でも実生活でも基本的には苦手。(苦笑) これを、普段、口数の少ない大野君が演じたってのは興味深い。

いちおう、主役は風助とのことですが、この舞台を見る限りでは、主人公は誰と特定しがたいような雰囲気。というのも、ストーリーの中では風助をカリスマ扱いしている感じはあるのですが、他のキャラクターもそれぞれ個性的なので、風助だけが特別目立つ存在でもない感じ。見た感じだと、風助が他の登場人物よりカリスマ性があるとは思えなかった。私の中では、宣教師ヌゥベン最高!状態だったからかな。(苦笑)

ストーリー自体は、とくに印象に残るものではなかったです。結末も「え?だから?」みたいな印象。基本がドタバタ劇だし、その中で伝えたいこととして提示されてる主題みたいなものは単純明快なのだけれど、そのテーマも風助の生き様にも感動することはなかったし、演じているキャストや役柄のどれにも、特別な思い入れや感情移入もしなかった(=できなかった)ので。たぶん、こういうお芝居って、舞台上で演じている人たちは、ものすごく楽しいんだと思います。自分とは別の人格を演じること、みんなで一つのものを作り上げることが楽しいという演劇好きな人たちが醸し出す舞台演劇の特徴とも言える独特の空気は、よく滲み出ている。ただ、いかんせん、私は、その舞台演劇特有の空気が大の苦手なので、この作品も例に漏れず、あまり得意ではなかったです。演劇に免疫のある人だったら違和感なく受け入れられる作品なのかも。とにかく、作品の長所は判り易さ、短所は内輪ウケの強い笑いかな。とりあえず、そんな感じの作品でした。

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舞台「カリギュラ」(演出:蜷川幸雄)

去年の秋に東京bunkamura シアター・コクーンで上演されていた舞台「カリギュラ」がWOWOWで放映されていたので、その録画映像を鑑賞。舞台演劇が嫌い、小栗旬もあまり好きじゃない私が録画してまで見る理由、それはもうアルベール・カミュの戯曲だからです。カミュの「カリギュラ」との出会い&思い出は、以前も読書レポの際に書いたけれど非常に強烈でして、それゆえにこの舞台には興味があったのだ。

舞台「カリギュラ」
作:アルベール・カミュ
演出:蜷川幸雄
出演:小栗旬(カリギュラ)、若村麻由美(セゾニア)、横田栄司(エリコン)、勝地涼(シピオン)、長谷川博己(ケレア)、月川悠貴(歌い手・詩人)、塾一久(財務長官パトリシュス)、青山達三(老貴族セネクトュス)、磯部勉(第一の貴族)、廣田高志(第二の貴族レピデュス)、新川將人(第三の貴族カシュス)、宅嶋渓(第四の貴族)、冨岡弘(第五の貴族・詩人)、今村俊一(メレイア・奴隷・詩人)、田村真(ミュシュス)他
収録:2007.11.21 Bunkamura シアター・コクーン


最初、蜷川幸雄が「カリギュラ」を手がけるという話を耳にしたとき、「ああ、いかにも蜷川さんが好きそうな戯曲だな。」でした。蜷川幸雄の手がけた舞台を語れるほど見たわけではないけれど、「タイタス・アンドロニカス」とか「カリギュラ」とか残虐さが印象に残るような悲劇って蜷川さんの十八番という印象がある。でも、私、あまり蜷川さんの演出する舞台が得意ではない。何ていうのかな。おどろおどろしさとドギツさが鼻につくイメージなんだよね。蜷川さんが手がけた野村萬斎の「オイディプス」もドギツくて途中でリタイア。そんな私が上演時間200分の「カリギュラ」を見るとは、人間やればできるの証明のようです。(苦笑)

で、その「カリギュラ」ですが、案の定というか、やはり一筋縄ではいかない難しい戯曲ですね。とにかく、このお芝居は、お芝居上級者向きであることは間違いないでしょう。 これ、興味本位で「小栗旬が見たいから見に行く♪」みたいなノリで見に行くと痛い目に合うことでしょう。やはりある程度カミュの不条理哲学を予習していないと厳しいと思う。実際、原作を読んでいる身でも「難しすぎる!こんなの1回見ただけじゃ理解できん!」と思ったぐらいです。とにかくカリギュラを筆頭に登場人物のそれぞれが自分の哲学を主張し、相手を論破するようなセリフの応酬劇。いわゆる論理的会話劇なので、セリフを聞き取って頭で理解していくのに追いつけるかどうかが鍵。とくにカリギュラの論理は、一般人の感覚とかけ離れた狂人的哲学。それが三段論法で畳み掛けられてくる。そのそれぞれの論理の矛盾に気づいたり、その面白さにたどり着くには、かなりの集中力が必要。正直、何度も集中力が途切れ、睡魔が襲い、話が見えなくなって巻き戻してみました。こんなの難しすぎて、生では見れない。芝居嫌い、芝居初心者な私は生で見て理解するのは絶対無理。爆睡必至。(苦笑) そして、やっぱり私は舞台演劇が嫌いだと痛感した。演じる側には、かなり演じ甲斐のある演目だと思いますが、その演じる喜びに身をゆだねながら、役柄に陶酔しきっている役者を見ていると、なんだか、どんどん醒めてしまうというか、ドン引きしてしまうのよね・・・。(苦笑)

主演の小栗旬君は大熱演でした。これを理解して演じきるって凄いね。ちょっと尊敬。彼の演じるカリギュラは、暴君とはいえ、暴君になりきることへの不安と恐怖がチラチラと見え隠れし、常に自問自答しているような繊細で人間らしさが残るカリギュラでした。小栗旬演じるカリギュラの畳み掛けるような論法のセリフは、まだ悩めるカリギュラが自らの哲学の正当性について必至に自らに言い聞かせている感じがあります。それゆえ、暴君としての迫力や狂気的な怖さよりも、繊細で複雑な人間性を感じさせる人物に仕上がっていました。解毒剤か喘息の薬なのかのやりとりで、最終的に喘息の薬だったとカリギュラが知ったときのかすかに見える驚きと動揺の表情などは、普通の人間の持つ感性をも持っている人物であることをチラっとうかがわせる瞬間でもありました。これで狂気的な怖さや凄味も同時に持ち合わせてくれていれば、さらに拍手喝采でしたが、それはちょっと物足りなくも感じた部分もありました。なんとなく、簡単に反逆して倒せそうな相手に見えたので。ただ、そこまで多くを望むのは贅沢かもね。

ただ、小栗旬、他の役者さんに比べると彼のセリフだけが聞き取りづらいという場面が幾度かありました。とくに、早口で畳み掛けるときの発声と滑舌がイマイチ。「カリギュラ」はカリギュラのセリフが鍵。あのセリフに、カリギュラの哲学がすべて凝縮されているわけで、それを耳で聞いて頭で理解していかないと、この芝居の面白さにたどり着けない。そういう極めて重要な意味を持つセリフが聞き取りづらいというのは、残念。あと気になったのがツバ。飛ばしすぎじゃね?(苦笑) セリフを喋るたびに飛ぶツバが滅茶苦茶見苦しくて気になる!見た目の問題だけではなくて、そのせいで声も聞き取りづらいのでは?と思ったり。まあ、唾は、舞台を生でみている観客には見えないのかもしれないですけど。発声は、さらに磨きをかけてもらいたいところ。

そのほかのキャストもいいですね。足を引っ張る人がいない。若村真由美は、セゾニアの独特の狂信的な不気味さがなんともいえず似合っていました。シピオンのピュアでいたいけな雰囲気もよかったし、強い信念のあるケレアのクールな雰囲気も、エリコンの飄々とした貫禄も良かったです。あと元老院の爺ちゃんたち。皆さん、いい味だしてたわー。脇役とはいえ、さすが舞台俳優といわんばかりの存在感。

舞台の構成としては、「カリギュラ」のキーアイテムの「鏡」を、蜷川氏がどういう風に使うのか興味があったのですが「鏡」は、1幕から鏡張りの空間に原色のネオン管という舞台セット。ちょっと斬新。あのギラギラのネオン管には、妙な違和感を感じましたが、あの鏡で囲まれた空間は、ラストシーンのカリギュラの独白シーンでとてもすばらしく生かされていたように思います。
あとは、小栗旬のスタイルの良さに驚いた。あの美脚(&美尻)。(笑)でも、あそこまでお尻を見せる必要性は感じなかったかな。女装だけで良いのでは?まあ、強烈なインパクトと狂気の沙汰であるイメージは強められていたけれど。

それにしても、ずいぶん前からカリギュラの本は、現在絶版状態で中古本ですらプレミア価格となっておりましたが、今回の小栗旬主演舞台効果でさらに値がつりあがってるのね。「情熱大陸」で取り上げられたし、余計に注目が集まったみたいだね。すごいね、需要と供給のバランスが崩れるとここまで値段が高騰するんだねぇ・・・・。それならいっそのことカミュの全集を買ったほうが安いと思うけど。

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舞台「忘れられない人」を見終わって


相葉雅紀主演舞台「忘れられない人」大阪5公演、千秋楽も昨夜無事終了。ということで、改めて舞台の感想でも書いてみようかと思います。(かなり長いです。御覚悟を)

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『忘れられない人』
【スタッフ】 翻訳・脚色=高平哲郎 演出=宮田慶子
【キャスト】 相葉雅紀/加藤夏希/岩佐真悠子/原金太郎/五十嵐明/加藤啓/西慶子/吉成浩一/小野賢章/綾田俊樹/田島令子
【東京公演】2007.10/22(月)~11/11(日) 東京グローブ座
【大阪公演】2007.11/16(金)~18(日) シアターBRAVA!



まず、最初に断っておきますと、ワタクシ、何度も申し上げておりますが

 ・舞台演劇というもの自体が苦手
 ・元ネタである映画「忘れられない人」が苦手
 ・ラブストーリーというジャンルが苦手
 ・ジャニーズ舞台初体験

という人間ですので、こんなワタクシからポジティブな感想が出てくることなど、あまり期待しないでいただきたい。(っていうか、誰も期待してないだろうけれど。)ま、本音を書いて何が悪いってことで、いつものごとく正直に感じたことを。

まず、お芝居自体の構成・脚本・演出についてですが、すべて想定内でした。あの映画を舞台化したら、こんな風になるだろうなと想像していたものが、舞台上で繰り広げられており、脚本や演出に関しても不満はありません。むしろ、映画で私がドン引きした部分(アダムがキャロラインの寝室に忍び込んで寝顔を覗いてたことをカミングアウトするくだり)を完全にカットしてあったのはグッショブ!あれがあるのとないのとで、ずいぶんアダムの人物像がノーマルになるもの。ホっ・・・・。映画のエンディングも、もう遥か昔に見たきりなので記憶にないのですが、今回の舞台は、ちょっと変えてあるんだっけ?とりあえず演劇作品としては、うまくまとまっていたのではないかと思います。暗転等やセットチェンジなど空間や時間の使い方にも気になる点はなく、あの映画が好きな人なら、このお芝居自体も認めてくれるんじゃない?って思える構成だったように感じます。ただ、元ネタである映画自体がまったく琴線に触れない私の場合は、案の定、まったく何の感動もない演目ではありましたけど。(苦笑) え、涙ですか?当然のごとく全く出ておりません。相葉雅紀の頑張りっぷりにオカン心を刺激されてウルっときそうな気がした部分もなかったわけではないけれど、劇中の役柄に感情移入して流す涙は一滴もありませんでした。映画も含めて、この作品の泣きどころがわからない。それぐらい私のツボにハマらない演目なんだもの。(苦笑)でも一緒に見ていた友人Mさん(松本ヲタさん)は、見終わったあと「ちょっとウルウルしたよ。」と言ってくれていたし、同じ回を見た友人Nちゃん(櫻井ヲタさん)は「もちろん泣いたよー!」と言っていたので、そういうのを聞くと、我ながら自分が冷血人間だと思わずにはいられない。相葉君、ゴメンよ、こんな相葉ヲタで。というわけで泣ける人(=心がピュアな人)は泣ける内容だったようです。

出演者の演技についてですが、まあ、これも想定内といえば、想定内。私が最優秀殊勲賞を差し上げるなら、加藤夏希ちゃんですかね。彼女の演技は舞台に向いてると思います。むしろテレビよりも。彼女って、テレビドラマで見ていると、若干オーバーアクトが鼻につくんだよね。「花より男子」の滋役も、滋のキャラ的に違和感がないから許せるものの、やはり多少オーバーアクトが気になっていたのですが、舞台になると、それがちょうどいい。パンフレットで彼女が自ら語っていたけれど、会場の後ろの席の人にもわかるようにオーバーに演じつつも、それが嘘っぽく見えないようにするバランスが難しいのが舞台演劇。そのバランスが主要キャスト3名の中では、一番うまくとれていたように思います。セリフ回しも急緩具合が程よくて(とある回では、妙にカミカミでしたが、それも許容範囲内)、声も聞き取りやすく、顔だちもハッキリしているし、モデルなだけに立ち姿もキレイだから舞台で映えるし、ぜひ、今後も舞台演劇の仕事を極めて行ってもらいたいと思いました。私は、映画版の「忘れられない人」は好みではないものの、映画の中でキャロラインを演じたマリサ・トメイは大好きな女優さんでして、彼女の演じたキャロラインは、べらぼうに可愛い!と思ったものですが、加藤夏希ちゃんの演じたキャロラインも好感の持てる可愛い女性で、アダムが恋をしてしまうのも納得だなーと思わせる魅力をしっかりと演じきってくれていたように思います。

逆に残念賞は、岩佐真悠子ちゃん。ワタクシ、テレビで見る限りでは、彼女の顔立ちや喋り方は加藤夏希ちゃんよりも好みだったのですが、実際に生で見たら舞台女優としては全然魅力がない人だった。(苦笑) 立ち姿や仕草もなんだか美しくないなぁとガッカリだったのですが、最も気になったのがセリフ回し。アメリカのコメディ映画の吹替えを意識しているの?ってぐらいに、大きな声を出すこととセリフの抑揚に執着しすぎて感情が上滑りしている感じ。その妙なセリフの抑揚が鼻につき、初見はイライラしたのですが、途中からその抑揚が「なだき&友近」の「ディラン&キャサリン」のモノマネを見せられているような気分になり、友近のキャサリンみたいなシンディだなーと思い始めたら、違った意味でめっちゃくちゃ面白くなっきて、途中からは別な意味で楽しませてもらいました。

あと、ベテランさんでは、マザーカミーラ役の田島令子さんの演技も個人的に期待はずれでした。映画の中でのマザーカミーラがどういうキャラだったのか、全く記憶にないので、私が求めているものが見当違いなのかもしれないけれど、カトリックの修道女という厳格で堅いイメージはしっかりと醸し出されていたんですが、体から慈愛のオーラが出ていない。小道具とセリフでアダムを思う気持ちや愛を強調されても、その愛が伝わってこないんだよね。オープニングがいきなり彼女とキャロラインの会話の場面から始まるのですが、そこで、全くアダムへの愛が見えなくて、マザーカミーラが息子の嫁をいびる姑のような意地悪修道女に見えてしまい、かなり戸惑いました。孤児院で孤児の成長を見守る人というと、私は、映画「サイダーハウス・ルール」でマイケル・ケインが演じたドクター・ラーチの印象が非常に強くて、あのドクター・ラーチみたいな、包み込むような優しさのオーラをどうしても求めてしまうというか・・・。それを求めちゃダメなんですかね?


で、肝心の我らが座長:相葉君についてですが、これ、言わなきゃダメですかね?(苦笑)


ええ、みごとに立派な大根!でしたよ。


舞台演劇って、やはりむずかしいジャンルの芸術だと思うんだよね。オーバーに演じながら、かつリアリティを持たせるという課題は、プロの舞台人でも果たして何人が克服できているんだろう?って思うぐらいの難しい課題だと思うし、私が舞台演劇を毛嫌いするのも、どうしても舞台で繰り広げられるオーバーアクトに馴染めず、嘘っぽさが目について、その世界に入り込めないからなわけで、いっそのこと虚構の世界のSFだったり、今とかけ離れた時代劇だったりするほうが、リアリティを追求せずに見れるから気も楽なんだけれど、今回の「忘れられない人」みたいな、妙に中途半端に身近な時代設定で、身近な日常を描いたような内容だと、よけいにリアリティが欠けると感情移入ができにくいから演じるほうに与えられるハードルは、さらに高くなっていると思うわけ。しかも、前半、セリフのない状態で感情とキャラクターをアピールし、途中からジワジワと言葉を発する役というのは、相葉くんには気の毒なほど、かなりの難役。細かいところをダメ出ししはじめたらキリがないけれど、やはり相葉くんの第一課題は台詞回しでしょうね。感情移入という点では、そこそこ頑張っていると思うの。ただ、やはり後ろの人にもわかるようにオーバーに演じつつも、それが嘘っぽく見えないようにするバランスが掴めていない感じ。とくに大阪初日は東京とのハコの違いもあってか全くバランスが掴めていなかった感じ。大きな声を出さなければいけないと思うゆえか、妙に肩に力が入って、セリフが一本調子になってしまう。最初にアダムが発するセリフ「君をつけた」は、大阪初日は超悲惨な状態でした。(苦笑)その第一声を聞いた瞬間、「ああああ・・・・・、喋らんほうがマシだった・・・・。(涙)」と、思わず顔をしかめてしまったほど。ただ相葉くんの名誉のためにフォローするなら、大阪の2回目以降は初日に比べると、かなりマシ(※この「マシ」の比較対象はあくまで大阪初日の相葉雅紀)になっていたので、やはり初日はカンが掴めていなかったんだなと推測。

役作りという点では、アダムというキャラクターは、幼い頃から心臓が悪く、身体が弱くて、人と隔離されて生きてきたので、人との付き合い方を知らず、口下手で無口、でも心はとてもピュアという人物設定なわけですが、相葉くんの演じるアダムは、悲しいかな、身体が弱いのではなく、頭が弱いんじゃないか?と思わせるアダムでした。(苦笑) 頭が弱いというと表現は不適切かもしれないな。とにかく相葉くんのアダムを見ていたら、ムショウに映画「フォレストガンプ」を思い出してしまいました。心がピュアで、行動が真直ぐで、そんな彼の言動は妙に微笑ましくて可愛くて、思わずクスっと笑ってしまいそうになるというあのトム・ハンクスが演じたフォレストの雰囲気を思い出してしまいました。でもアダムがそう見えてしまってはダメなんじゃない?だって、相葉くん自身が狙っていたアダム、観客に見せたかったアダムは、それではないはずなんだもの。

というのも、相葉ラジオで相葉くん自身が「アダムって、本当にいろんな風に作れる役なんだけれど、アダムっていうものを僕は割と自分より年上に設定したかったんですよ。だから、もうすごく落ち着いてるし、本当はすごく頭良くて、もう何でもわかってるんだけど、ただ喋らない。今まで喋れない、喋ったことがないから、慣れてないから、喋れない子っていう設定でやろうとしてて。」と言っていたのだけれど、どうもワタクシ、相葉くんが意図していたことを全く感じてあげられなかったみたいです。(苦笑) まあ、私にだけ伝わっていないのであればいいんですが、どうも、そうでもなさそうなあたりが心配で・・・。(苦笑)だって、相葉くんのアダムを見た感想ってみんな「カワイイ」って言うんだよね。でも、このラジオの発言を聞く限りだと、相葉くんって、アダムにあえて「可愛さ」を加えようとはしていないような気がしてならないんだよね。意図しているものが伝わらず、意図してない部分が思った以上に伝わっているってのは、役者としてどうなんだろう?相葉くんが演じたかったアダム像は、果たしてこれだったのかなぁ?と思うと複雑な気分。

相葉くんの場合、「戸惑い」の表情&「驚き」の表現は、口があいたままの状態になる場合が多いのですが、それが悲しいかな「アホ面」に見えてしまいがち。(苦笑) 「ハートを動かしているんだけれど、動かしていないように見せたくて。」と、これまた相葉ラジオで語っていた相葉さん。それは、なんとなくわかったんだけど、なんて言うのかな、私が舞台で見たのは、アダムという相葉雅紀とは異なる全く別の人物ではなくて、全く別の人格になろうと悪戦苦闘している相葉雅紀そのものだったという感じなんだよね。だから、結局、それが「カワイイ」にもつながってくるわけなんだけれど・・・。以前、東京初日を見た二宮君が、携帯サイトのブログ(ゲーム日記)で、「相葉さんという人は、なんて真直ぐな演技(芝居だったかな?)をする人なんだろう。」というニュアンスの感想を書いていたのだけれど、この一文が、本当にドンピシャに言い得て妙。改めて二宮君の言葉選びのセンス&相葉分析に感動。というのも「真直ぐな」というのは、相葉くんの人間性だとか、性格だとか、演技に対する姿勢に対しては、素晴らしい褒め言葉であるけれど、それと同時に演技という点においては、単純な褒め言葉で終わらない奥深さを持っている。つまり「引き出しの少なさ」を指摘する言葉にもとれるわけで、本当に素直なお芝居、誰もが想定する最もわかりやすい方法で感情を一生懸命表現する演技、それは、つまり裏返せば、引き出しが少ない、ワンパターン、面白みに欠けるとも受け取れる。もちろん、二宮君は、そこまで嫌味な意味をこめているわけではないだろうけれど、「真直ぐさ」は、相葉くんの最大の強みでもあり弱点でもあるんだなぁと、今回、数回、彼の演技をみていて感じた次第。

でも当然のことながら、相葉くん、頑張っていたのは、頑張ってましたよ。とくに、自室でキャロラインにマジックルビーとヒヒ大王の話をしながら自分の心臓の話をする場面。毎回、ちゃんと、しっかりと感情を高めて、しっかりとリアル涙を流しておられました。一番間近で見れた日が、一番キレイにツーっと目じりから涙を流してキレイなお顔をバッチリと見せてくれたので、思わず顔面ガン見。(笑)他の回は、目頭から涙がこぼれちゃって、鼻のほうに涙が伝ってきて顔がグシャグシャになって超ブサイクだっただけに、よけいに「おお!今回は美しいじゃないか!ナイスだ雅紀!」とばかりにガン見してしまいました。(笑)

あと、ワタクシの大親友のCちゃん(@今回観劇ならず)が最も気にかけていた噂のラブラブチュッチュは、全然たいしたことがなかったです。あれだけ、あちこちでラブラブチュッチュ、ラブラブチュッチュと自分で宣伝していたので、翔君のミュージカル並の濃厚ブッチューでもあるのかと思いきや、「黄色い涙」に続き、またしても受身で相手に押し切られた形でチューされておりました。しかもオデコ。まあ、一応キャロラインの081におずおずと手を伸ばしてましたけどね。(笑) この、キャロラインの081をアダムが触ろうとするシーンでのキャロラインの衣装には、ものすごいカチカチの胸パットが入っておりまして、その胸パットを見るにつけ、「意地でも私の081は触らせてやらないわ!」という加藤夏希ちゃんの鉄壁の防御体制を感じました。(笑)

それにしても、今回、初めてジャニーズ芝居に参加してビックリしたこと。客席のマナーの悪さ。上演中に携帯電話が鳴った人、いったい何人いたんだ?(呆) 普通、上演前に電源を切るのって常識じゃない? あと上演中にメールしていた人もいて唖然。しかも若い小娘ではなく、もう常識ぐらいしっかり身に着けていて当然と思われるような年齢の方。あと、休憩なしの公演だから仕方ないのかもしれないけれど、トイレ中座率も高かった。しかも数回見ていて要領を得ているのか、皆、相葉くんが出ない場面で行くの。何回も見て、どの場面で相葉くんが出ないのかを心得ているぐらいなら、どのぐらいの尺の芝居なのかもわかっているわけで、だったら、上演前に水分を控えるとか、先にトイレに行っておくぐらいできないのかな?周囲の人に迷惑をかけるのは勿論のこと、他の出演者の方にも失礼だよね。まあ、トイレは生理現象だから仕方がないにせよ、一番許せなかったのが、上演中にしゃべる人。この常識のなさは何? とある回で私の真後ろにいた人たちは、ことあるごとに、「かわいいー。かわいいー。」「ひゃー、かっこいいー。」と心の声をすべて口に出し、隣のお連れさんに同意を求めようとするので、もう煩くてイライラしました。ここはコンサート会場じゃねーんだよ!芝居見てるんだから、黙れ!オマエのつぶやきが煩くてアダムのセリフが聞こえねーだろーが!オマエに言われなくても相葉雅紀が可愛くてカッコイイことぐらい、皆わかっとるわい!と振り返って言ってやりたい気分になりました。心の声は、心の中だけにしてもらいたい。あと、大阪初日を見終わってビックリしたのは、会場中のスタンディングオベーション。いやはや、申し訳ないけれど、ワタクシ、あれはドン引き。あのレベルの芝居を見て、スタンディングオベーション!?ありえねーーーーーーー!(驚)だって、数回見たからこそ言わせてもらうけれど、大阪初日の相葉くんの演技、他の回に比べると、そんなに出来は良くなかったよ。なのにオールスタンディング。ファンって盲目だとは言うけれど、盲目すぎやしないかい?かなり緩いなーと驚いた。これじゃ、スタンディング・オベーションの有難味も何もあったもんじゃない。クラッシックやバレエや一般の演劇で、スタンディング・オベーションなんてよっぽど出来のいいパフォーマンスでないと出ない貴重なものなのに、こんな出血大サービス状態でオールスタンディングだなんて、いいの?そんなに甘やかして?ダメなものはダメ、いいところはいいと叱咤激励してこそ芸の向上はあるものだと思うワタクシとしては、どうもこの緩さと甘さが気になって仕方がないんですが・・・。

ちなみに舞台鑑賞とは別の次元での相葉ヲタとしての「あいばーどウォッチング」の感想を述べるならば、数ヶ月ぶりに再会した生相葉雅紀さんは、案の定、髪型はヘンテコリンで(むしろ後半の地毛姿より前半のヅラ姿のほうがステキだと思えるぐらい)、とくに大阪初日の顔は、昨日飲んだだろ?飲むとすぐに顔に出るんだから気をつけろよ!ってなぐらいに浮腫んでパンパンに腫れあがっており、どこからどうみてもブッサイクでしたが、そんな姿ですら、もう愛おしくてたまらないベリー・キューティクル(※相葉語)な生き物でございました。もう、なんで、あんなに可愛いの?ここまで「アバタもエクボ」だとは、自分で自分が恐ろしくなります。ちなみに、ワタクシが妙にツボにハマった相葉@アダムのセリフは「ストロンボリさん」。この妙に舌が回りきらない相葉独特の言い回しがかなりツボ。ちょうど「COOL&SOUL」の相葉ラップの「こことかでなく遥か向こう」みたいな雰囲気。(わかる?)あとは、きっと誰しもが挙げるであろう、ホッケー場でキャロラインに何度も言う「いつ?」ね。あの確信犯的な可愛らしさも、当然ツボ。ああ、もう、本気で可愛くてたまらん。あの生き物を捕獲して連れて帰りたい。(←イタいあいばか)

あとカーテンコールの、アダムが抜けて相葉雅紀に戻ったときの笑顔。これがやっぱり最高だな。幸いなことに、ワタクシ、とある回にて、ド・センターの座席をいただきまして、カーテンコールで相葉君が真正面でございました。ド・センターの有難味って、舞台全体がまんべんなく見えることだけだと思っていたのだけれど、カーテンコールでド・センターの有難味を再認識。やはりド・センターだと中央にいる相葉@座長さんの目線はバッチリこっち向き状態だからね。「ありがとうございましたー。」の言葉も笑顔も、真正面に飛んでくるから幸せも倍増。いやはや、もうね、これをおかずに御飯数杯食べれます状態。もう大根だろうが何だろうが、何度でも見守ってやるぜ!と今回のBRAVA通いに、一念の後悔もしていない自分を見出しました。(←完全あいばか) 演劇嫌いな私が同じ芝居を何度も見るのは絶対に苦痛極まりないと覚悟して通ったBRAVAでしたけれど、大好きな相葉雅紀をいろんな角度で何度も見るというのは、たとえ苦手な舞台演劇というジャンルであっても、その苦手意識すら吹き飛ばしてくれるものだということに、改めて気づかされました。1回目で見落としていて気がつかなかったことに、何回も見ているうちに気づいたり、考えたりしてしみじみとしていたりしているうちに、あっという間に大阪公演も終わってしまいました。1度も見れない人に1枚ぐらい譲ってやれよ!というお叱りを受けそうですが、やはり相葉ゴトとなるとダメですね。そんな広い心を持てません。ええ、性格の悪い、独占欲の強い相葉ヲタです。自覚してます。スミマセン。

それにしても、やっと、相葉舞台終了!さあ、相葉くん、髪切ろうぜ!あのチョロンと残った茶色い襟足が、なぜ残ったままだったのか、舞台を見て納得しました。ヅラとあわせなきゃいけないからだったんだね。ということは、舞台が終わったら、バッサリと切り落としてもOKってことでしょ。ああ、ワクワク。さあ、Let's お散髪!


以下、余談。


この舞台を見た後、孤児院つながりで、妙に見直したくなった映画「サイダーハウス・ルール」。大好きな映画です。テーマ曲を聴いただけで心が温かくなって泣けてくる。アダム同様に孤児で、病気もちで、隔離されてというあたりで、この映画のファジー少年を思い出した。「忘れられない人」で泣けない私も、この映画では、毎回ボロ泣き。もう10回以上見てるけど、毎回泣く。これ、舞台化するなら、ホーマー役を相葉くんでお願いしたい。あ、でもホーマーは大野君のほうが似合うかも。

サイダーハウス・ルールサイダーハウス・ルール
トビー・マグワイア ラッセ・ハルストレム


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相葉アダムを見た後、心がピュアな青年つながりで、妙に見直したくなった映画「フォレスト・ガンプ」。これまた大好きな映画で、これまたテーマ曲を聴いただけで心が温かくなって泣けてくるんだな。

フォレスト・ガンプフォレスト・ガンプ
トム・ハンクス ゲイリー・シニーズ サリー・フィールド


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舞台のオリジナルはこの映画。近々廉価版が出るみたいです。

忘れられない人 (ベストヒット・セレクション)忘れられない人 (ベストヒット・セレクション)
クリスチャン・スレーター トニー・ビル


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野村万作萬斎新春狂言2007

今年も参加してきました。今年は、万作萬斎新春狂言の10周年ということで、その記念公演として、演目に「釣狐」が!「釣狐」は、狂言の最高秘曲と呼ばれる大曲で、狂言の技術だけでなく、精神と肉体を極限まで駆使するため、この曲を抜いて(=初演して)こそ一人前と認められるという演目。狂言は「猿にはじまり狐で終わる」と言われているそうで、「うつぼ猿」で初舞台を踏み、狂言の家に生まれた人の場合、だいたい二十歳代で「釣狐」を演じ、それを演じ切って初めて一人前と認められる演目なのだそう。萬斎さんの場合も22歳で抜き、以来3回演じているそうで、今回が14年ぶりの4回目なんだとか。

つりぎつね【釣狐】
「釣狐」は、猟師に一族を皆殺しにされた老狐が殺生をいさめる物語。猟師の伯父に化けた狐が、殺生をやめて罠(わな)を捨てるよう猟師を説得するが、帰りに餌(えさ)の誘惑に負けて本性を現す。上演時間は一時間半で、ほとんどがシテである狐役の独演。前半は狐が僧に化け、後半にはその本性を現す。



私は、「釣狐」を見るのは初めて。上演時間が1時間半で、ほとんど独演、しかもかぶりもの付きは、演じる方もあらゆる面で難易度が高いのでしょうが、見る側にも苦労を強いる演目でした。いわゆる、いままで見慣れていた簡単に笑える系統の演目ではなく、どちらかというと「能」に近いような「静」の美しさや愉しさみたいなものを味わうようなテイストだったので、まだ、狂言初心者の私には難しかった。とくに「能」が得意ではないので、こういう静かな動きに美を見出すだけの力量が私にはまだなくて、かなり睡魔との闘いでした。(苦笑)被り物や面のせいか言葉も聞き取りにくいし、お話も前説があったからこそ理解できたけれど、前説がなければ唄のところは、理解できなかったかも。そういう意味で、本当に冒頭の萬斎さんのトークと解説はありがたいな。でも、萬斎さんは熱演でしたよ。今回、かなり良席で間近で拝見できたのですが、お顔&首(お面でかくれているのだけれど)が紅潮して真っ赤でした。というわけで、私の理解力が足りないせいで、せっかくの貴重な「釣狐」を堪能はできなかったのだけれど、そのかわり「樋の酒」は素直に楽しんできました。

ひのさけ【樋の酒】
主人が外出するので、太郎冠者に米倉で、次郎冠者に酒蔵で留守番を命じます。窓から二人で話しをしていましたが、そのうち次郎冠者が酒を飲みはじめたので、太郎冠者も酒を飲みたくなります。そこで、酒蔵から米倉へ樋を渡し、太郎冠者の口の中に酒を送り込みます。そのうちに主人の命令そっちのけに太郎冠者が酒蔵へ行き、次郎冠者と酒盛りを始め、楽しく酔っ払っていると主人が帰ってきて叱られる。



樋の酒は、やはり万作さんの太郎冠者がとてもチャーミング。自分で自分の笑い声を感じるぐらい笑ってしまった。やはり、たまに見る狂言って、いいですね。笑うことって、本当に癒されるなと実感しました。

野村万作萬斎新春狂言2007
2007年1月10日(水)大阪厚生年金会館芸術ホール
◆「樋の酒」
  太郎冠者:野村万作
  二郎冠者: ?(※予定では野村万之助さんでしたが、体調不良で降板)
  主:深田博治

◆「釣狐」
  白蔵主/狐:野村萬斎
  猟師:石田幸雄

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第11回 野村万作萬斎狂言会(大阪)

本日は、久しぶりの狂言鑑賞。本日みてきたのは、この公演。

第11回 野村万作萬斎狂言会 
【公演日】 6/29(木)19:00
【会場】大槻能楽堂(大阪)
【出演】野村万作/野村萬斎/野村万之介/石田幸雄/他
【曲目・演目】 「連歌盗人(れんがぬすびと)」、「賽の目 (さいのめ)」


今までは「日本の古典芸能を愛する会」のメンバー4名全員で参加していた狂言でしたが、前回参加したの東西狂言の後で、「野村狂言はもういいや、茂山狂言だけでいい」という意見も出て「日本の古典芸能を愛する会」にも内部分裂を起こしてしまい、今回の参加は、“野村も茂山も両方観たい派”な私とIちゃんだけ。と思いきや、捨てる神あれば拾う神ありで、狂言をまったく見たことのないというIさんが「野村萬歳さんの狂言を見てみたい。」と言ってくれたこともあって、Iさんを含めた3名で大槻能楽堂へ行ってまいりました。ホールで狂言はみたことがあるけれど能楽堂に行くのは初めてなので、ちょっとワクワク。やっぱりホールで見るのとは雰囲気が違います。もっとこじんまりとしていて、趣がありました。今日の演目は「連歌盗人」と「賽の目」の2曲で、どちらもあまり上演される機会の少ない渋めの演目だそうです。はじまる前に、いつものように萬斎さんから解説がありました。連歌盗人は、野村万作さん・万之介さん・石田幸雄さんによって、賽の目は、野村萬斎さん・万之介さん 他が披露してくださいました。「連歌盗人」のほうは、連歌講の当番になったものの貧乏で支度ができない男たちが、金持ちの家に盗みに入って道具を盗もうとするのですが、その家の床の間に掛けてある懐紙を見て、添発句をして連歌を始めてしまいます。そこを家主に見つかるのですが、家主は、自分が第三をつけるから、第四をうまく付けたならば許そうといい、見事に付けてゆるしてもらいます。ゆるしてもらっただけでなく、酒を振る舞われ、太刀、刀までもらい喜んで帰っていくといったお話でした。「賽の目」は、あるお金持ちが計算にたけた人物を自分の娘婿にするという看板を出したところ、それに立候補してきた婿候補たちのお話。立候補者のなかから、主の難問に見事正解した男が娘と対面するのだが、美しいと評判の娘は、実は・・・。といったお話。最初の演目では、泥棒にまで落ちぶれた人間がハッピーエンドを迎え、後の演目では、賢くてうまく立ち回った人間がとんだ災難に遭うというオチでした。私には「賽の目」のほうがわかりやすくて面白かったです。しかし、やっぱり狂言は、ほっこりと和やかな笑いでホっとしますね。会場では、新春狂言の先行予約DMの申し込みを受け付けていたので、帰りに早速応募しておきました。もう2007年1月の予定を考えているなんて、本当に気が早いんだけれど、きっとあっというまに1月になるんだろうなー。それにやっぱり狂言は楽しい。というわけで、まだまだ狂言も見続けて行こうと思ったのであります。

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IC東西狂言

先月見た万作萬斎新春狂言2006で、すっかり狂言&野村萬斎にハマってしまったワタクシは、関西の茂山家(公式サイト、こちら)の狂言を見たい!できれば人間国宝の茂山千作さんの狂言を拝見したい、そして、やっぱり野村萬斎ももう一度見たい!という複数の狂言願望をメラメラと燃やしていたのだけれど、その願望を一気に叶える夢のような公演「東西狂言」とやらを発見し、速攻チケットを手配して、本日行って来ました。大阪は大阪でも羽曳野市ってどこにあるの???というぐらい、我が家から遠い見知らぬ場所の会場でして、雨にもマケズ遠足気分でおでかけ。だって距離には変えられない魅力的なキャストなんですもん。

2月26日(日)IC東西狂言
■「三番三」
三番三/茂山逸平  
千歳/茂山童司 
笛/竹市学  小鼓/曽和尚靖・幸正佳・成田達志  大鼓/河村大
■トーク
  茂山千三郎×野村萬斎
■「鶯」
何某/野村萬斎   
飼い主/野村万之介
■「花折」
住持/茂山千作
新発意/茂山千之丞
花見の衆/茂山あきら・茂山千三郎・茂山正邦・茂山宗彦
佐々木千吉・丸石やすし


見てきて、あらためて、狂言って面白いなーと実感しました。今回は、野村さん一家の和泉流と、茂山さん一家の大蔵流の違った流派の狂言を同時に見れるという非常にいい機会で、途中の千三郎さんと萬斎さんとのトークでは、和泉流と大蔵流の両方にある演目で、どれぐらい違いがあるかを示すため、お二人が同時に同じ歌で舞を披露してくれました。同じ歌詞なのだけれど、音程が違っていて、ちょっとした合唱のよう。舞などは、同時に踊ると、違いが歴然。まるで意図して別の振付をしているかのように違うのだけれど、足拍子のタイミングなんかは全く同じだったりして、面白いなーとしみじみ感じました。
冒頭の逸平さんの「三番三」は、威勢が良い舞に魅了されました。やはり古典芸能って、バレエと同じで、型があって、それをきっちりと計算しつくされた様式美の中で演じるので、非常に美しい芸術だなーと思いました。あのお腹の底から出すヨォー!という掛け声と、鼓の音も心地よいですね。
そして、茂山一家の勢ぞろいした最後の「花折」は、非常ににぎやかで楽しかったです。千作さんも千之丞さんも80歳を超えておられるとは思えない声量。いやはやステキすぎます。萬斎さんの「鶯」も面白かったけれど、今日は、どちらかというと茂山一家に魅了されて帰ってきた感じ。関西だから、茂山一家も応援していかなくちゃ。というわけで、私にとっては、2005年のバレエブームに続き、平行して2006年は狂言ブームも到来といった状態です。ちなみに本日の参加メンバーは、前回&落語の時と全く同じ。もうすっかり“古典芸能を愛する会”が結成されてしまいました。今度は、どの狂言公演を観にいこうかなー。

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柳家花緑独演会「花緑ごのみ」

一昨日は狂言でしたが、今日は落語。柳家花緑独演会「花緑ごのみ」へ行ってきた。今更語るまでもないけれど、柳家花緑さん(公式サイトはこちら)は、私のお気に入りの元バレエダンサーの小林十市さんの弟さん。もともとは、お兄さんがキッカケで好奇心が芽生え、去年、花緑さんの「花緑ごのみ」にも足を運んでみたところ、とにかくめちゃくちゃ楽しかったので今年も参加することにしたのである。去年一緒に参加したメンバー全員が今回もリピートしているあたりに、どれほど楽しいか想像していただけるかと思うのだが、とにかく癖になる楽しさなのだ。今回は、新たに新規加入者が1名加わり、総勢4人で参加。やはり「花緑ごのみ」は楽しい。古典芸能でも落語は比較的に堅苦しくなくて、とくに花緑さんの落語は、もちろん、しっかりと落語も聞かせてくれるけれど、漫談に近い軽さのあるお話もあったりするので、とても親しみやすい笑いに溢れていました。こちら花緑さんも先日の萬斎さん同様に、次の演目について簡単な時代背景など、あらかじめ知っておくほうが解りやすくなるような情報を先に説明をしてくださっておりました。本来は落語の本題に入る前にこういう説明を長々とするのは野暮なことらしいけれど、あえて皆が楽しめるようにと配慮してのことだそうですが、こういうのが、私にはとても有り難い。またしても頬と御腹の筋肉が震えっぱなしの楽しい時間を過ごし、笑いで身心をリフレッシュしてきました。いや、本当に、笑うって、なんて素晴らしいことなんだろう。体の毒素がすべて笑いと一緒に噴出して、会場を出るときには、皆が本当にスッキリとしたエビス顔になっている。終演後は例年どおりサイン会。今年もサインをもらい、携帯のカメラで一緒に写真もとっていただきました。本当に気さくな方です。去年もでしたが、落語で大いに笑った後に写す写真は、いつも妙に顔が生き生きしていて写真写りが良いのである。うふふふふ。お見せできないのが残念。お見合い写真をとるなら、落語の後がいいかもね。(笑)

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万作萬斎新春狂言2006

今日は、野村万作&萬斎の狂言を見に行って来た。生まれて初めての生でみる狂言。きっかけは去年10月末能楽劇「夜叉ヶ池」を見たときに、劇中での茂山一家の狂言が面白かったので、ちょっと狂言というものに興味が出て今回のチケットをとることにしたのだが、年が明けてしまうと、もうすっかり日本の古典芸能への興味も薄れ、このチケ代をバレエチケットかクラッシックのコンサート代に回したほうが賢明だったかも・・・などと失礼&不謹慎なことを思いつつ会場へ。本日の演目&出演者は、こんな感じ。

万作萬斎新春狂言2006
会場:ウェルシティ大阪厚生年金会館芸術ホール
出演者:野村万作/野村萬斎/野村万之介/他
曲目・演目トーク、「犬山伏(いぬやまぶし)」、「しびり」、「煎物(せんじもの)」


いやはや、モチベーションが低かったにもかかわらず、十二分に楽しんできました。やはり狂言って面白い!日本の文化も侮ってはいけませんね。まず、初心者でもわかりやすいようにと、最初に萬斎さんからのレクチャーがあって、それぞれの演目のあらすじ、見所などを、丁寧にお話してくださったのが、私には非常に有難かったです。そしてその説明のあと、演目をみると、やはり面白さが倍増しました。というか、教えてもらっていなかったら、あそこまで楽しめなかったかも。この万作&萬斎新春狂言というのは、毎年、その年の干支にちなんだ演目を選んでおられるそうで、今年は戌年なので「犬山伏」なんだそうです。この「犬山伏」も「煎じもの」もあまり上演される機会の少ない演目で、「しびり」というのは、子供が演じたりするぐらいポピュラーな演目なんですって。この「しびり」というのを、あえてお父様の野村万作さんが演じてくださったのですが、この独特の仕草だとか間がとてもコミカルで、多いに笑わせていただき、すっかり魅了されてしまいました。そして「煎じもの」の野村萬斎さんは、まるで、ドリフターズの志村けんみたいな役どころで、これまた多いに笑わせてくれました。まさか野村萬斎を志村けんに似てると思うとは驚き!ドリフって、狂言に通じるものがあったのね・・・なんて思ってしまった。そして、以前、落語を見たときにも感じたのだけれど、笑うということは、本当に身体に良いと実感しますね。身体の中に蓄積していた疲れや毒素が笑いと一緒に放出されて、気がつけば、頬がゆるんでいて、帰りの自分の顔が穏やかになっている気がしました。そして、やはり野村萬斎さんは、ステキだった。私はお芝居してる姿より、狂言をなさっておられるときのほうが好きだな。あの独特の唄のような腹のそこから出す声&台詞まわしが、なんともいえなくしびれます。首が長くて、なで肩なのも、和服に非常によく映えるし、ちょっと惚れてしまいました。今も頭の中は「せーんじもーのー、おせーんじもーのー、おせーんじもーのを召~せ~」という萬斎さんの声がエンドレスで繰り返されています。(笑)あー、たのしかった。

| 観劇・狂言・落語 | 23:00 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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