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Je pense, donc je suis.

Je pense, donc je suis.(我思う、故に我あり。)  というか、ただの日記です。

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サムソンとデリラとダビデとゴリアテ

先日、CSのクラシカ・ジャパンで「サムソンとデリラ」というミラノ・スカラ座のオペラを放映していた。サムソンをテノール歌手プラシド・ドミンゴが歌うというので、ドミンゴが好きなママンのためにDVDで録画してあげながら、なんとなくダラダラみていたのだが、そこで自分が大いなる勘違いをしていたことに気づく。私は、幼少期、日曜学校に通っており、聖書物語はひととおり読んでお勉強させられた。なので「サムソンとデリラ」というタイトルを見たときに、あ、聖書に出てくるあの物語をオペラにしたんだなと判ったつもりで見ていたのだけれど、見ているうちに、自分が思い描いていた物語は、「サムソンとデリラ」ではなく「ダビデとゴリアテ」だったことが判明。どうも、デリラ≒ゴリラ、ゴリアテ≒ゴリラ、って頭の中で「ゴリラ」つながりで自動変換されてたみたいなんだよね。ちなみに「ダビデとゴリアテ」の物語というのは、ものすごい怪力の持ち主で、傍若無人に振舞うゴリアテという大男が町の人々を困らせるので、業を煮やしたうら若き少年ダビデ君が決闘を申し出るのです。ゴリアテは、相手(ダビデ)があまりにも自分より小さいので、鼻っからバカにして決闘を引き受けるのですが、そこはダビデ君、知恵で勝負とばかりに、飛び道具(パチンコっていうのでしょうか?)を使って、ゴリアテの額を射抜いて小さいながらも勝利するというお話。今思えば、飛び道具を使うってのは卑怯な気もするのだけれどけれど、まあ、知恵のある小さい男が正義に燃えて、大男を倒したという物語で、子供心には、「ダビデ君って、知恵が働いてカッコイイ~。」と惚れこんだものでありました。そして私が勘違いしていた「サムソンとデリラ」の物語っていうのは、神から与えられたものすごい怪力の持ち主のイスラエル人サムソンが主人公。サムソンの怪力の秘密は、髪の毛にあって、神から生まれたときから髪を切ってはいけないといわれているわけですが、サムソンを憎む異教徒のペリシテ人がサムソンの怪力の秘密を探ろうと刺客としてデリラという美女を送り込み、サムソンはデリラの美貌にメロメロになって、うっかり自分の秘密を漏らしてしまったところ、寝ている間に髪の毛を切られ、あっさりペリシテ人に捕らえられ、目を潰されて牢屋に投獄されちゃうのだけれど、牢屋の中で神に祈りつづけ、髪の毛が伸びた折にあの怪力が復活し、ペリシテ人が異教の神の神殿で宴会をしているときに、怪力で神殿もろとも崩壊させてしまうという物語。冷静に考えたら、オペラにするなら、そりゃ、後者だよね。ドミンゴがダビデ少年なわけないし、ゴリアテってのも違うだろ!って感じなんだけれど、私の頭は、「怪力」つながり、「ゴリラ」つながりで、勝手に脳内変換されておりました。間違いに気がついたときに、自分で、あまりの勘違いに一人で可笑しくて、笑いがとまらなくなっちゃったよ。ちなみに、サムソンとデリラって何度か映画化もされてるんですね。一番新しいものだと、デリラはエリザベス・ハーレーみたい。ちょっと見てみたい気も・・・。

| 雑学 | 20:57 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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少年ダビデと巨人兵ゴリアテ

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| 良い子の歴史博物館 | 2005/11/01 17:13 |

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