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Je pense, donc je suis.

Je pense, donc je suis.(我思う、故に我あり。)  というか、ただの日記です。

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舞台「グリーンフィンガーズ」

改めて、作品の感想を。かなり長いです。尚、一応、1ヶ月近く熟考に熟考を重ねて書いた文章ゆえ、無断転記(※画像も含む)、無断リンクは、くれぐれも御遠慮ください。

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 『グリーンフィンガーズ』
 [演出]宮田慶子
 [翻訳・脚色]高平哲郎
 [出演]相葉雅紀 平幹二朗 
     いとうあいこ 山田純大 住田隆 なすび 
     本田有花 田島令子 石田太郎
     天田益男 池内万作 田上ひろし 片岡正二郎 廻飛雄 永田恵悟 大沼遼平
     西原純 竹岡真悟 太刀川亞希 窪田壮史 高木正晃 蔭山嘉一 田口貴史 他
 [音楽監督・作曲・ピアノ]稲本響
 [生演奏] MaL 江口心一 平岡雄一郎
 [美術]松井るみ 
 [照明]中川隆一 
 [音響]長野朋美 
 [衣裳]半田悦子 
 [振付]振付稼業 air:man 
 [公演期間]東京公演:2009/2/23~3/10 青山劇場
        大阪公演:2009/3/20~3/23 梅田芸術劇場メインホール


まず、私は、もともと、この舞台の原作となっている映画が大好きです。原作が大好きだということは、やはり舞台化に際して、作品自体に求めるものも大きかったりします。おまけに、私は、もともと舞台演劇というジャンルが好きではありません。言葉で人に聞かせるように感情を表現するという行為を見るのが苦手なのです。(だから言葉を使わずに感情を表現するバレエが好き。) なので、演劇自体もそれほど数は見ておりません。専門的な知識もないド素人です。そんな人間が書いた感想だということを御理解の上、読みすすめていただければと思います。

今回、私は、
東京公演:青山劇場
  2009年2月23日 19:00~ 
大阪公演:梅田芸術劇場
  2009年3月20日 18:00~  
  2009年3月21日 13:00~  
  2009年3月21日 18:00~  
  2009年3月22日 13:00~  
  2009年3月22日 18:00~  
  2009年3月23日 13:00~  
と上記の7公演を鑑賞させてもらいました。(※それぞれの公演の簡易レポは当日の日付の記事にて報告済) 座席は出演者たちの顔の皺や汗まで肉眼で見れるぐらいの1階の前方席から、1階中央センター付近、2階席、3階前列、3階最後列と幅広く、いろんな角度&いろんな距離から、この作品を鑑賞させていただきました。いろんな席から見て感じたのは、この作品は、どの席からでも楽しめるように考えて作ってある作品でしたし、相葉君を含め、出演者たちの演技は、3階後方であろうが、端っこであろうが、どの席へもちゃんと気持ちを届けてくれるレベルのパフォーマンスだったように思います。

音声面では、東京公演は、出演者たちはピンマイクは装着しておらず、劇場内に設置されているマイクで全体の音を拾うような形だったように感じました。大阪公演は、各出演者がコメカミのところにピンマイクを装着していたので、各個人の声をそれぞれ拾うようにしてあった感じ。

東京での初日公演を見終わった段階で、あえて感想を書かなかったのは、まだ御覧になってない方々へのネタバレへの気遣いという理由もありましたが、実は、東京初日を見た後のこの作品に対する私自身の評価が非常にネガティブなものだったので、そのネガティブな原因を再確認し、自分の中で咀嚼してから、きちんと感想を書きたかったという理由もありました。 もちろん初日の日記に書いたとおり、「グリーンフィンガーズ」という物語自体は、オリジナルの映画同様にとても心温まる物語で、音楽はステキだったし、舞台美術は美しかったし、相葉さんの演技面での成長も感じたし、他の出演者たちの演技も素晴しくて、それより何より相葉さんの精一杯がと一生懸命さが、とてもしっかりと詰まった舞台だったし、その部分だけに目を向ければ、とてもポジティブな気持ちにもなれたのですが、何が私をネガティブな気持ちにさせたかというと、作品の構成とセリフ(要するに脚本)。とりわけ、オリジナルに手を加えて付け加えられた部分が不満で不満で、どうしてもポジティブな気分にはなれませんでした。

私の場合、とにかく、もともとのオリジナルの映画を気に入っているだけに、作品に対して思い入れが強いということが仇となり、構成上のメリハリだったり演出の点で自分の感性と合わない部分が気になって、「ここは、もっと丁寧に描いて欲しかったのに・・・。」とか、「そんな余計なものをなぜ付け足すんだろう?」とか、「そのエピソードに、そこまで時間を割く必要があるんだろうか?」とか、東京初日を見終わった段階ではモヤモヤしっぱなしでした。 

舞台作品として構成上の不満としては、まず全体の尺の長さ。ファンとして、3時間近く出ずっぱりの相葉さんを眺めていられることは至福の時間ではありますが、一つの演劇作品としては、初見の印象では、ちょっと長すぎる気がしました。青山劇場や梅田芸術劇場という大きな劇場ということを意識して、エンターテイメント性を高めることに集中しすぎたせいか、欲張りすぎて、いろんなものを詰め込みすぎた感じがして、その詰め込みすぎた物を全て見せることに執着しすぎて、全体が駆け足でせわしなく散漫な印象を受けました。それを顕著に感じたのが場面転換。 20分の休憩を挟んだ全2幕構成なのだけれど、その2幕の間に一体何場あったんだ?っていうぐらい、細かく、めまぐるしく場面が変わる。 複数回見れば、それぞれの場や台詞に持たせた意味や伏線も理解できたので、初見のときほどの不満は感じなくなりましたが、初見一回のみでは、ここまで細かく場を分ける必要があるのだろうか?という疑問が残りました。

舞台装置は、前回の「忘れられない人」同様、宮田さんお得意の回転形式。中央に大木を据えた回転形式で場面転換するセットを使った舞台装置は視覚的に美しく秀逸。しかも、それらの場面転換を生演奏で繋ぐという演出を加えたことによって、シーンとシーンの繋ぎ目の感情の途切れを払拭する効果や次のシーンへのワクワク感を高めてくれる効果があり、とても素晴しい演出だったと思います。

しかし、その回転方式の舞台装置や生演奏を持ってしても、めまぐるしい場面転換によるストーリー展開の慌しさみたいなものは払拭しきれておらず、作り手も尺の長さや場面転換の多さを意識してか、各シーンをかなりテンポ良く仕上げたことによって、中だるみは防げているものの、元々詰め込みすぎな台本をテンポアップして進めるので、初見1回のみで登場人物(とりわけ囚人たち全員の個性や背景)を把握するのはたいへんだし、駆け足で進めるせいで、それぞれの登場人物の感情の変化が唐突に見えることもしばしば。これは役者たちの演技力云々というよりも演出(脚本)に原因があるように感じました。 

東京初日を見た段階では、映画を知らない人は、果たして初見で内容についてこれるのだろうか?登場人物たちの感情の変化についてこれるのだろうか?囚人全員の背景と人間関係を初見1回のみで把握できるのだろうか?と心配になりました。実際にストーリーを知っていても、初見では感情の変化が唐突に感じたりする場面もあったし、映画よりさらに増員されていた囚人たちの個々のキャラクターや背景を把握しきれなかったので。ただ、東京初日と大阪初日の間に、かなり地味に細かなマイナーチェンジは行われていたようで、スタッフやキャストが場面転換に慣れたこともあってか、大阪公演は、東京初日に比べると、さらに展開もスムーズで、わかりやすくなっていた感じもしました。 相葉君のダンスシーンをかなり減らした(&目立たなくさせた)よね?東京初日は、もっと踊っていた印象。相葉君のダンスシーンをかなり減らしたぶん、相葉君が踊りだすと起こった客席のザワつきもなくなったので、ストーリーに集中しやすくなったように感じました。それは単に私が2度目の鑑賞で、構成や劇場環境に慣れただけなのかもしれませんが・・・。

さすがに連続で何度も鑑賞させていただくと、それぞれのシーンやセリフが、いろんなものの伏線になっていることがわかってきたので、各シーンを入れた意図は理解できた部分もあったのですが、舞台は生物。本や映像のようにページを遡ったり巻き戻して確認するということができる部類の芸術ではありません。いくら凝った伏線を敷いていても、やはり1度の鑑賞で伝わらないような脚本では意味がないと思います。よっぽどのヲタクは何度も見るかもしれないけれど、一般的には1作品1回の鑑賞が普通。それこそ、これだけチケットが取り辛い舞台だと、なおのこと、1度の鑑賞で伝えきれないような脚本は失敗だと思います。そして、幸か不幸か連続で何度も鑑賞させていただいたことにより、脚本やセリフの穴と矛盾もハッキリと見えてきてしまい、どうにもこうにも今回の脚本の完成度に関しては、私は最後まで満足できませんでした。

特に許せなかったのが、コリンが涙ながらにファーガスに罪を告白する場面。コリンが「親友」とまで呼ぶファーガスにも、最後の最後まで頑なに語らなかった自分の犯した罪。ファーガスが、いよいよ余命わずかとなった段階で、コリンはファーガスに促され、涙ながらに告白するけれど、この舞台の構成(=脚本)だと、実は、それ以前の段階で既にプリムローズは『コリンが殺人を犯した』ことを知っていることになる。コリンがファーガスに罪を告白する前に、既にプリムローズは、母ジョージナとの会話で「コリンは何故刑務所にいれられたの?」「殺人よ」というやり取りをしており、しかも驚く母ジョージナに「お母様、あれは事故だったのよ!」と言っている。「あれは事故だ」とプリムローズの台詞で語らせてしまっていることで、プリムローズが殺人に至った経緯までを知っていることが明白になってしまっている。親友ファーガスには、促されるまで話せなかったコリンが、恋人プリムローズには、既に話しているという、まず、そのカミングアウトの順番にモヤモヤ。コリンは、プリムローズにも、床に膝をつき、涙ながらにカミングアウトしたのだろうか?まさかピロートークで、うっかりポロリなんてわけではあるまいな。(苦笑) 

そして、そんな親友にすら明かさなかった自分の過去を打ち明けるほどの相手がプリムローズだとすれば、二人の間に「愛」がないわけはないだろう。舞台でのコリンとプリムローズの恋心の描かれ方は、唐突にも思えるほど非常にアッサリしたものだったので、これも不満な点の一つなのだが、とにかく、自分の過去を打ち明けるほど心を許して愛していたプリムローズよりも、コリンはガーデニング(&刑務所の仲間たち)を選び、黄色いバラを渡して「恋の終わり」を告げる。その際の別れの手紙でコリンは「愛をこめて」と、わざわざ「愛」という言葉を使って締め括っている。 なのに、その後の場面で、コリンはファーガスに涙ながらに「僕は誰かを愛せるんだろうか?」というセリフを問いかける。 既にプリムローズを愛し、自分の秘密まで打ち明けて、そして、その愛を終わらせているのに、なぜ「僕は誰かを愛せるんだろうか?」などという、前後の流れから矛盾した陳腐な台詞をコリンに涙ながらにここで言わせたのだろう? コリンが愛せなかったのは、誰か(他人)ではなくて自分、もっというなら自分の「人生」。自分で自分を愛せないのだから、他人に愛される資格もないと思っているという解釈ならわかる。でも、その解釈なら「誰かを愛せるだろうか?」では、やはりおかしい。 「僕は自分の人生を愛せるんだろうか?」とか「僕は誰かに愛される資格があるだろうか?」というセリフにならないと「誰かを愛せるだろうか?」なんて言われたら「君は、自分の過去を打ち明けるほどにプリムローズを愛していたんじゃないのか?」とツッコミたくなる。感情を高め、涙をポロポロ流す相葉君の演技を見れるのは確かにファンとしては魅力的ではある。でも、そういう相葉君を見せるための商業的演出が、物語の整合性を崩し、作品自体を陳腐なものにしてしまっていることが、非常に残念。このシーンでの相葉君と平さんの熱演は心を打つステキなものでしたが、ここの「愛」についてのセリフで、このシーンを用意した演出家の商業的意図が見えて、非常に白けた気分になったので、個人的には、このシーンが一番嫌い。 ちなみに映画では、コリンが涙ながらにファーガスに罪を告白するなどという陳腐なシーンはありません。ファーガスに友情と信頼を感じた時点で、コリンが自発的に静かに告白するのみだったと記憶しています。コリンが感じている自らの罪の意識の重さを伝えるのなら、私は、仮釈放の面接のシーンだけで十分だと感じました。

セリフに関しては、1幕の冒頭で「伏線」として何度か繰り返し出てくる「チャンス」という言葉にもモヤモヤ。「こんなところにチャンスなんてあるわけない!」というコリンが繰り返すセリフ。英語の「chance」という単語は奥の深い単語で、いわゆる日本語で言う「チャンス(好機)」の意味の他に、「可能性」とか「めぐりあわせ」、「出会い」という複数の意味があります。実際、コリンは、刑務所の中で、あるわけないと思っていた「可能性」を見つけ、「(信頼できる仲間たちと)めぐりあい」、「(親友や愛する人やガーデニングの師匠との)出会い」を見つけるわけだから、この作品で何度も登場する「チャンス」という言葉は、いわゆる日本語になっている(カタカナで表記する)「チャンス(=好機)」という意味ではなくて、英語でいう「chance」の「可能性」とか「めぐりあわせ」というニュアンスのほうだと思われる。 しかし、これを「チャンス」とカタカナのセリフにしちゃったら、見ている人の大半は日本語英語の「好機」の意味でとらえてしまうだろう。この物語は、「好機」を捕えた物語ではなくて、あるわけないと思っていた「可能性」を見つけた物語だったからこそ感動的なわけで、翻訳者の方は、その「chance」という英単語の持つ複数の意味の奥深さを含めてそのまま「チャンス」という単語として残したのかもしれないけれど、英語に馴染みのない我々日本人にしたら、「チャンス」とカタカナ英語(日本語英語)にされちゃうと、「チャンス」=「好機」と理解してしまうし(実際、初見では、私自身もここのセリフを「好機」という意味で受け止めた)、そうなると、せっかくそこに含ませた言葉の意味が伝わりにくい気がする。なぜ最も適した訳語の「可能性」という日本語を使わなかったのか。「チャンス」を「可能性」と言う言葉に置き換えてあったのは、ダブルバイオレットが咲いた場面の最後の最後、ファーガスが口にするセリフの中でたったの1回だけ。でもそのファーガスの発した「可能性」という単語が一番心に響いた。翻訳って難しいけれど、あの「チャンス」は全部「可能性」という日本語に変えておいてくれれば、もっとセリフがスーっと心に入ってくる気がして残念に思いました。

あと、「チャンス」つながりで気になったのが、コリンが種を撒いたあとにつぶやく「こんなちっちゃい種に、でっかいチャンスなんてあるわけない!」というセリフ。なぜ、「でっかい」なんていう蛇足な形容詞を付け加えたんだろう?ファーガスは、「わずかな可能性」を捨てないことの大切さを説いていたはず。「でっかいチャンスを狙え」と説いていたわけではない。「種」と「チャンス」とを対比させ、双方を際立たせるためだとしても、「でっかい」という形容詞には違和感。

あと、ファーガスが3人の妻を殺した後、まともになった理由が「逮捕後にクリスチャンになったから」というのも映画と違うのでモヤモヤ。まともになった理由がキリスト教のおかげだったのなら、ファーガスはコリンに花の種ではなくて聖書でもプレゼントして、ガーデニングではなくキリスト教を教えればいいのにと思うし、枕元の愛読書はディケンズの「オリバー・ツイスト(←逆境から可能性をみつけて幸せになった男の子のお話)」ではなく、聖書にすればいいと思ったり・・・。

この作品には、「信頼」「友情」「思いやり」「愛情」「逆境からの復活」「贖罪」「諦めないことの大切さ」「夢を持つこと、そしてそれを叶えることのすばらしさ」等、いろんな要素が詰まっているけれど、その中でも今回の演出は、「贖罪」というものに大きいウエイトを与えているように感じました。 もともとファーガスの役にコワモテで重厚な演技をなさる平さん(=前科者といわれれば、演じる前から、それなりの説得力のある方)をキャスティングしているあたりも、コリンにあそこまで涙ながらに過去の罪を自白させる演出も、「罪の意識」なり「贖罪」なりの部分を演出することにウエイトを置いてのことなのかなと。 (近親者の)命を奪った人間が、(植物の)命を育てることで、命の大切さと、自分の罪に向き合う。奪ってしまった命は取り戻せないけれど、別の命をいたわり、思いやることで自分の罪と正面から向き合う。もちろん、そこは、コリンとファーガス2人の男の人生においても、物語上も、非常に重要な核の部分ではあるけれど、そこを商業的目線で大きく煽りすぎている気もする。下手に哲学やドラマを詰め込んで、いろんなものを詰め込みすぎたことで、逆にその作為的な部分が鼻につくというか、矛盾点に引っかかってスッキリできなくなっているというか、本来この物語が持っていた素朴で心温まる作品の醍醐味みたいなものが目立たなくなっている気がしてモヤモヤする。 結局のところ、本来、この物語は、実話なだけに、もっと単純でシンプルなもので、もともとの映画版で使われていた素材だけでも十分感動を伝えられるのでは?と思うのだ。ファーガスが語部となって客席に伝えるメッセージ「小さい可能性を捨てるべからず」「逆境こそ味方」「戦う前から諦めるな」という数々の言葉だとか、世代や立場や階級や偏見を超えた「友情」や「信頼」の描き方は、万人の心に響くステキなもの。それだけに、それ以外の無理矢理挿入したような「愛」だの「宗教」だのという作為臭い説教めいた台詞や、お涙ちょうだい的なあざとい演出や、強められているキリスト教色が蛇足以外の何物にも見えなくて不満。それが商業演劇だと言われてしまえば、それまでだけれど、それならば、最低限でも、矛盾点は作らないで欲しい。台詞や登場人物の行動のツジツマは合わせておいてもらいたい。

とはいえ、上記のような脚本の矛盾点や構成や細かいセリフ等への不満があっても、それでも、この作品を見終わった後は、幸せな気分になれた。何度見ても楽しかったし、見れば必ず幸せな気分が増した。それは主演が大好きな相葉君だったからということももちろんあるが、オリジナルの「グリーンフィンガーズ」という物語自体がもともと持っている魅力によるところが大きい。そしてチャーミングで魅力的な役者さんたちの存在感も。とりわけ田島さんのチャーミングなコメディエンヌっぷりは、本当に毎回会場を沸かせ、舞台に登場してきただけで場が明るくなるほど。私自身も毎回クスクスと笑わせてもらった。平さんは、さすが大御所と言わんばかりの絶大なる説得力でコリンだけでなく客席にメッセージを語りかけてくる。作品の哲学的部分すべてを担うファーガスを演じた人が平さんだったことは、本当にこの舞台の完成度を高めてくれていると感じました。脇を固める所長さん役の石田さんの存在感も温かくて大きい。そして囚人の方々や看守さんはそれぞれに個性的で、チャーミングで、女性陣も華やか。音楽隊の皆さんの演奏のすばらしさはいわずもがな、演奏をしていないときの音楽隊の皆さんが、とても温かい表情で舞台上を見つめていたり、小さく演技で参加しており(ハンプトンコートの賞を逃したときに、音楽隊もガッカリした表情を作ったりしていた)、そんな魅力的な出演者たちに囲まれた相葉君の演技も周囲の方々にさらにグイグイと引き上げてもらえている感じがして(※相葉君の演技については、先日語ったので省略します。)、そんなカンパニーが描く3時間を眺めているのは、本当に至福の時間でした。それだけに、脚本がもう少しキチンとしていてほしかったけれど、あの温かいオーラにつつまれていた会場は、見る人を幸せな気分にする力に充ちていたので、見終わった後には、先日語った「がっかりしないといけない?」という清々しい気分(※参照記事こちら)になりました。

あと、複数公演みたからこそ気付いたこと。まずは、伏線として出てくる「ハイビスカス」。「ハイビスカス」の花言葉は「信頼」。コリンが収監された日、所長室での所長が「信頼」という言葉を口にしたとたんに、コリンは露骨に眉をひそめる。もっとも「信頼」していた弟に裏切られた過去を持つコリンにとって「信頼」なんて言葉は信じるに値しないものだと思っていることが、ここでわかる。そして、ファーガスと同室となり、ファーガスの留守中にハイビスカス(花言葉は「信頼」)に水をやって育てる。二人の部屋でじわじわと育まれたハイビスカス(信頼)は、コリンが出所する際にファーガスの手から、コリンに渡され、そしてコリンが戻ってきたら、またファーガスの元へ。コリンとファーガスの間でハイビスカス(信頼)が行き来することで、二人の間に「信頼」築かれていることを花言葉を伏線に使って表現してありました。あと、途中、オズルワースハウスの盗難事件の際に所長が「信頼という花言葉を持つ花は何だったっけな?」と意味深な言葉を発したまま場面が変わっておりましたが、その答えも、「ハイビスカス」です。

あと、クリスマスパーティーの部分で、いきなり椅子を叩くコリンの行動。あれも初見では、なぜコリンが急に椅子を叩いたのか理解できていなかったのだけれど、あれは、ロジャーの配下にいた囚人(兄)を訪ねてきたオックスフォード大学生の弟が、兄弟仲むつまじそうに自己紹介している姿を見て、弟のいない(=弟を殺した)コリンがやるせない思いをぶつけていたんだということに2回目で気付きました。初見だと、あの段階では、コリンが弟を殺したということは観客には知らされていないから、気付かないよね・・・。小さいところで、いろいろ作りこんでいるんだなーなんて思いました。このあたりのつながりや相葉君の小さな芝居は、初見1回では、なかなか気付けない。何回か見て、ああ、そうかと納得した次第。役柄に入り込んで小さくブツブツつぶやいていたり、結構、いろんなところで細かく役を作りこんで入り込んでいる相葉君の姿を見るにつけ、それに気付けた自分に嬉しくなりました。

あと、幸運だったのは、大阪初日のカーテンコールの後のトークで、相葉君の一番好きなシーンや、山田さんの一番好きなシーンを教えてもらった後に再鑑賞できたこと。あの回以後、相葉君の一番好きなシーン(ファーガスの骨を撒くところ)や、山田さんの一番好きなシーン(プリムローズが苗を分けるところ)は、それまで以上にじっくりと味わって見るようになったから。あと、毎回、じっくり観察してたシーンは、枝を分ける作業にプリムローズを誘う際、躊躇するプリムローズを「いいから、こっちに来て!」と誘うコリンの表情。相葉君の色気が透けて見えたコリンの表情がツボにハマって、毎回ガン見。(笑)マユゲと視線で誘うコリンの巧みなプレイボーイっぷりに、毎回ニヤニヤしてしまった。(笑)

それにしても、舞台というものは生物だなーと改めてしみじみ。同じ演目、同じ台詞なのに、笑いが起こる場所というのが、回によって全く違っていたりもする。もちろん必ず毎回会場が沸く場面もありましたが、日々違った顔を見せてくれるのが舞台の魅力。相葉君も大阪初日のカーテンコールで言っておりましたが、微妙にチョコチョコと演技を変えてきたりするので、それこそ日ごとに回ごとに違った顔を見せてくれた。それは相葉君だけでなく他の役者さんたちも。だからこの場面はこの日が一番好きとか、このシーンは別の日の演技が好きだったとか、毎日毎回どの公演にも、何かしらベストなものがあり、何かしらの発見があって、そんな変化や発見を感じれるほどの回数を鑑賞できたことに本当に心から感謝です。相葉君の挨拶の言葉じゃないけれど、「ほんっとーうにステキな方々と一緒に」この舞台を見守れたこと、始まる前に一緒に緊張し、終わったあとに一緒に内容について語り合えたことに、感謝の気持ちと嬉しさで、今さらですが胸がいっぱいの状態です。思い出すだけで涙が出そうなほど幸せな時間を与えてくれた皆さん、本当にありがとう。そしてアイバゴトに強欲な私を見捨てずに協力してくれたお友達。本当に、ほんっとーうにありがとう。

というわけで、ぜひオリジナル映画も見てください。

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